2014年5月27日火曜日

北海道での「ふくしま集団疎開裁判」講演レジメ(2014.5.26)


レジメ

0、はじめに(自己紹介)

3.11まで原発や放射能に無知だった。3.11以後、なぜ疎開裁判に関わるようになったのか。
バイテク・センチュリー」との出会い
禁断の科学裁判先端科学技術である遺伝子組換え技術の裁判に関わる中での「遺伝子組換えムラ」の住民たちとの異常な体験

1、福島原発事故
(1)、福島原発事故は2度発生する。
 1度目は「
人間と自然との関係」の中で、2度目は「人間と人間との関係」の中で。


2度目の「人間と人間との関係」の中で発生する事故とは、1度目の「人間と自然との関係」の中で発生した事故がその後意図して操作(マインドコント ロール)されたものである。従って、その操作が発覚したとき、市民の科学技術とそれを運用・管理する人たちに対する疑心暗鬼・不信感は極大に達する。

但し、たとえ運良くその操作が発覚せず、市民の目を欺くことができたとしても、自然を欺くことはできない。どんなマインドコントロールも「人間と自然との関係」の前で無力である。自然は情け容赦なく人間を裁く。

その上、「人間と自然との関係」で、今日の専門化し、細分化し、分断化された科学技術では自然の全体像を正しく把握することができない。そのため、自 然を人工的に利用するにあたって生じる危険性についても正しく把握することができない。この意味でも、今日の科学技術は「人間と自然との関係」の前で無力である(『安全と危険のメカニズム』補足より)。
参考->危険は人によって作られる! 共著「安全と危険のメカニズム」第3章「市民の科学への不信はいかにして形成されるか」第4章「座談会」184~187頁より)

(2)、
「見えない、臭わない、味もしない、理想的な毒」を認識する視点:視差(ズレ)の中で考える。
さきに、私は一般的人間悟性を単に私の悟性の立場から考察した。今私は自分を自分のではない外的な理性の位置において、自分の判断をその最もひそかな動機もろとも、他人の視点から考察する。
 両者の考察の比較は確かに強い視差を生じはするが、それは光学的欺瞞を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真の位置におくための、唯一の手段である。(カント「視霊者の夢」)
A.時間的な視差:3.11以前と以後との対比
B.場所的な視差:チェルノブイリと福島との対比
C.人的な視差:「政府要人・自治体要人・原子力ムラ住民とその家族」と一般市民との対比 例 郡山市長 

 ※本日の検討
 ①.世界からみた福島原発事故(日本内部との対比)
 ②.世界史から福島原発事故(百年前との対比)

2、世界からみた福島原発事故

①.菅谷昭松本市長14.4.24) 
  なぜ、今頃、こんなメッセージを表明したのか?

②.外国から 5人の代表的な声(2013年4~5月)
  ファッション・デザイナー
 キャサリン・ハムネット

    スイス・ジュネーブ市長 レミー・パガーニ

    人権活動家 ノーム・チョムスキー
    フランス前環境大臣 コリンヌ・ルパージュ

    小出裕章(非日本的日本人)

  外国から無名の人々の声  イタリアからのメッセージ
なぜ、彼らはこのような声を発したのか?

③.ふくしま集団疎開裁判を報道するニュース

国内。テレビは2011年6月24日の申立時にTBSNEWS23一社のみ。以後、一切なし。

国外。韓国、ドイツ、フランスの公共放送が取材・放送。  
④.福島の現実(201210月のジュネーブ国連でのスピーチから)

  日本政府の三大政策「情報を隠すこと」「事故を小さく見せること」「様々な基準値を上げること」
          チェルノブイリ事故から徹底して学んでいること。
          例 キエフの学童疎開→
2011.4.19 20倍引き上げ


  健康被害の実態:小児甲状腺がんの検査結果
           ベラルーシの35倍14.2.7)
           →最新の5月19日の発表で40倍
           スクリーン効果論の「崩壊」確実(14.5.19)
           郡山保健所から配布の副読本「がんのおはなし
  最近の福島 福島市の中学校正門付近の線量
        車窓の線量(磐越東線 引船~郡山)

  映画『シンドラーのリスト』を作ったあとのスピルバーグの発言
 「ホロコーストで起きていたことは、当時、チャーチルもルーズベルトも知っていた」(
歴史の反復

⑤.2013年4月24日の仙台高裁の決定(判決) 
  →画期的な事実認定(理由)と理不尽な結論(主文)との矛盾

⑥.松本子ども留学プロジェクトのスタート
一刻の猶予もならない子どもたちの救済を、市民の手で市民型公共事業としてスタート

 
3、戦争との対比
 大岡昇平の「レイテ戦記」

 

4、世界史から見た福島原発事故
 第一次世界大戦との類似性


5、「美味しんぼ」の言論抑圧問題

私の抗議文->自らは説明責任を果さず、少数意見の表現者には「断固容認でき」ないと抗議声明を出す福島県の言論抑圧に抗議する

3つの主体の人権侵害、その結果、最大の被害者は、福島の「子どもたちの命と健康」

    作者の表現の自由 (1)、経験した事実(鼻血・除染) (2)、不確実な科学的事実(被爆と健康被害の関係)

    市民の知る権利(表現の自由は民主主義の基盤である「自由な言論と討論の広場」にとって不可欠

    被害者である福島の人々の経験した事実や真実と信ずる見解を表明する自由

 「鼻血は事実」~福島の母親「美味しんぼ」言論抑圧に抗議
 
    最大の被害者である福島の子どもたちの命と健康という人権

ジュネーブ国連でのスピーチ「福島から訴える」草稿(2012.10.27)



1、私が申し上げたいことは、「日本政府は、今すぐ、ふくしまの子どもたちを安全な場所に集団避難させよ!」ということです。さもないと、沢山のふくしまの子どもたちの命と健康が奪われるからです。フクシマに21世紀のホロコーストを再現させてはなりません。

2、日本政府はチェルノブイリ事故から実に沢山のことを学んできて、昨年311日の福島第一原発事故のあと、その成果をすばやく、忠実に実行しました。それが日本政府の3大政策です――第に「情報を隠すこと」第2に「事故を小さく見せること」第3に「様々な基準値を上げること」でした。
(1)、情報を隠すこと
ソ連政府は避難地域を拡大したくなかったので、避難地域の外にあるベラルーシ・ゴメリの高濃度汚染の情報を隠しました。日本政府も、避難地域を拡大させないために、放射能汚染を予測するシステムによって得られた汚染情報を隠しました。その結果、この情報を知っていれば避けられた被ばくを、多くの市民が余儀なくされました。
被ばくによる甲状腺がんを予防するためには、事故後直ちに安定ヨウ素剤を服用することは周知の事実でしたが、ソ連政府は市民に安定ヨウ素剤を配布しませんでした。そのため、多くの子ども達が甲状腺がんになりました。日本政府も安定ヨウ素剤を配布しませんでした。独自の判断で配布した町に対し、回収するように命じさえしました。その結果、いま、沢山のふくしまの子どもたちの甲状腺に異常が見つかっています。

(2)、事故を小さく見せること
ソ連政府は、事故後最初の演説で「放射線のレベルは人体に影響はない程度だ」と言いました。日本政府も、事故直後「健康に直ちに影響はない」を連発しました。

(3)、様々な基準値を上げること
ソ連政府は、キエフ市が学童疎開を開始する前日に、年間被ばく許容基準を100倍に引き上げました。その結果、キエフ市以外では学童疎開ができなくなりました。日本政府も、自治体が学童疎開を開始する前に、すばやく学校の安全基準を20倍に引き上げました。その結果、ふくしまの学校はどこも学童疎開できなくなりました。しかし、いったい、どうやって子どもたちに「君たち福島の子供たちは、被ばくしたので、本日から放射能の感受性が20倍にアップしました」と説明したらよいのでしょうか。日本政府は「緊急時」のやむを得ない措置だと言いましたが、昨年12月、野田総理が原発事故は「収束した」と宣言したその後も、依然、20倍の「緊急時」の措置が続いています。この矛盾を、どうやって子どもたちに説明したらよいのでしょうか。

以上の結果、日本政府の3大政策の最大の被害者は子どもたちです。
原則として原発20キロ圏外の福島の子どもたちは、事故後現在まで、放射の汚染地域に住み、学校に通っています。以下は福島原発から60キロ離れた郡山市の地図です。昨年8月発表された空間線量のデータに基づき、チェルノブイリの住民避難基準を当てはめると、郡山市の市街地の殆どが、チェルノブイリの住民避難基準で住民が避難する義務を負う移住義務地域に該当します。このような危険な地域に多くの子ども達は住み、教育を受けているのです。

 
しかも、日本政府が提供した線量計は、地域住民が実際に受けている放射線量の値の半分しかないことが専門家の調査により明らかにされました(2012年10月5日「内部被曝研の報告」。


福島県の小中学校や公園の約500ヶ所で、2台の線量計が並ぶ光景が見られます(写真上)。右は政府から契約を解除された業者が納入したもので、左と比べ値が最大40%高い。理由は右が世界標準の仕様であるのに対し、左は日本標準の仕様だからです。原発事故後も引き続き、日本政府により「事故を小さく見せる」「安全・安心」神話作りが懸命に進められています。

その結果、事故後1年を経ないうちに、福島の子どもたちに次のような健康被害が明らかになりました。

3、子どもたちの健康被害
今年9月11日に福島県が発表した検査結果では、4万2千人の子どもの43%に甲状腺の異常(のう胞または結節)が見つかりました。とくに女子の被害は深刻で、6~10歳の54%、11~15歳の55%に異常が判明しました。通常なら百万人に1名と言われる小児甲状腺ガンが、38名の検査の中から初めて1名見つかりました。しかし、日本政府はガンと事故の因果関係を否定し、全く対策を取りません。


前回の4月26日の検査結果で3万8千人の子どもの36%に甲状腺の異常が見つかったとき、海外の専門家は次のように警鐘を鳴らしました(Business Insider 2012.7.19)。
「こういった甲状腺異常が一年も経たないうちに現れるというのは早過ぎます。普通は5~10年かかるものです。これは、子どもたちが大変高線量の被ばくをしたことを意味します。‥‥子どもたちに甲状腺結節やのう胞があるのは、異常極まりありません!」(オーストラリアのヘレン・カルディコット博士)
「福島原発事故後にこれほどすぐに、多くの子どもたちに甲状腺の嚢腫や結節が見られることに驚いています、なおかつこの事実が世間に広く知られていないことに驚いています。」(アメリカ甲状腺学会次期会長)

甲状腺でこれだけ早い時期にこれだけ多数の異常が見つかったということは、ふくしまの子どもたちが、今後、甲状腺の病気だけでなく心臓病など様々な病気を発症する可能性がとても高いことを意味します。それはチェルノブイリ事故による健康被害について、ウクライナ政府の最新の報告書[1]からも明らかです。
 
4、日本政府の対策
(1)、この深刻な被ばくに対する日本政府の対策の中心は除染です。しかし、チェルノブイリ事故から学び尽くしている日本政府はチェルノブイリの経験と同様、フクシマでも除染が失敗するのは最初から織り込み済みです。無意味な除染作業の間に、子ども達は被ばくし続けています。それは犯罪以外のなにものでもない、ではないでしょうか。


(2)、しかも、日本政府は、子ども達に対し「危険だと思うのなら、自主的に避難すればよい」という立場です。しかし、福島の子ども達は自主的な避難を選択しなければならないほど、何か悪いことでもしたのでしょうか。子ども達が遊んで原発を壊したのでしょうか。子ども達は自分たちが原発を誘致したのでしょうか。彼らには100%責任はありません。彼らは純粋の被害者です。他方、日本の国会も認めるとおり、福島原発事故は自然災害ではなく、人災です。日本政府は原発事故の加害者です。自動車事故では、誰も加害者に被害者を救護する義務があることを疑いません。誰も、轢かれた被害者が自分で自主的に病院まで行け、とは思いません。同じ人災である原発事故でも同様です。加害者である日本政府が純粋な被害者である子供たちに、自主避難しろと言うのは道徳的に決して許されることではありません。

5、チェルノブイリからの訓え
(1)、チェルノブイリ事故について、350の英語論文を元にしたIAEAの従来の公表記録に対し、ベラルーシ語、ウクライナ語、ロシア語を中心とした5千の論文に基づいた2009年のヤブロコフ・ネステレンコ報告[2]によれば、チョルノブイリ事故により世界で98万人以上の人々が命を失いました。福島は人口密度がチョルノブイリの5倍以上あるといわれています。
このままでは、福島で今後どれほど膨大な数の被害者が発生するのか、想像を絶するものがあります。
では。どうすればよいのでしょうか。簡単です。今すぐ、子ども達を避難させ被ばくから逃がすのです。なぜ今すぐか。チェルノブイリで世界標準とされる住民避難基準が採用されたにもかかわらず、98万人もの犠牲者を出したのは、その住民避難基準が不十分だっからではなくて、その基準の採用が事故後5年も経過してからです。人々はその間ずっと被ばくし続けていたためで、避難するのが遅すぎたのです。だから、今すぐ避難する必要があるのです。
(2)、これこそ、日本政府がチェルノブイリから学ぶべき最大の教訓です。福島の高校生がこう言いました「命のスペアはありません」。子どもの命が滅びたなら、福島が復興したところで何の意味があるのでしょうか。
集団避難はお金さえあれば実現できる最もシンプルな解決方法です。1959年、日本政府は原発導入にあたって、原発事故による被害額を国家予算の2.2倍(現在の国家予算なら200兆円)と試算済みです[3]。元々それだけの損害額を覚悟して原発の導入を推進したのです。金銭的に、福島県の子どもたちの集団避難は不可能だという言い訳は通用しません。今年4月、日本の財務大臣がIMFに、電話で、ヨーロッパの信用不安の防止のため500億ドル提供すると伝えたと報じられました。経済の復興のためにそれだけのお金が用意できるのあれば、命の復興のためにお金を準備できない筈がありません。


6、世界の良心の声を福島に
 

映画『シンドラーのリスト』を作った監督スピルバーグはこう言いました「ホロコーストで起きていたことは、当時、チャーチルもルーズベルトも知っていた」と。しかし、彼らは見て見ぬ振りをした。もし、当時、彼らが声を上げていれば、ホロコーストの悲劇も最小限に食い止められたのです。今の福島も同じです。原発を推進したいと思っている人たちは、福島の惨状を見て見ぬ振りをしています。しかし、もし世界中の人たちが声を上げれば、いま、福島に襲いかかっている悲劇を最小限に食い止めることができます。福島の子どもたちの命を救うことができます。それはひとえに世界の皆さんの良心にかかっているのです。
私たちは、何の責任のない福島の子どもたちを21世紀の「人道に対する罪」の犠牲者にする訳にはいきません。これはイデオロギーの問題でも政策の問題でもありません。子どもの命という人権の根本問題です。どうか、福島と関わる私たちと世界の皆さんとが「つながる」ことによって、福島の子どもたちを救い出して下さい。

2014年5月14日水曜日

福島県の言論抑圧に抗議する(その2)「福島県・復興相のいう『復興』だけが「復興」ではない」(2014.5.14)

 法律家 柳原 敏夫
今年3月に来日したノーム・チョムスキーは、民主主義社会における思想統制のやり方の1つとして、政府とマスメディアが、あらかじめ可能な選択肢のうち、一部の選択肢しか市民に提供せず、その中でしか選べないように仕向けることを挙げている。
例えば、社会システムとして、資本主義か社会主義かの2つの選択肢しか示さず、どちらかを選ばせるように仕向ける。そこで、人々はしぶしぶ資本主義を選択する、という具合に。

今回の「福島の復興」がその典型だ。福島県(そして復興相らの政府)と マスコミは、人々は子どもも含めて福島に残って、復興に励むか、それとも復興を放棄して福島から去るか、この2つの選択肢しか市民に提供しない。そして、そこから選ばせる。後者はあたかも非国民のような扱いである。

しかし、言うまでもなく、そのどちらでもない「復興」のやり方がある。
チェルノブイリの経験から、除染が困難を極めるものであることは想定済みでのことであり(菅谷昭松本市長)、その間、放射能への感受性の高い子どもたちを汚染地域に住まわせ続けることは犯罪同然であり、従って、まずは子どもたちを非汚染地域に避難させた上で、大人たちは汚染地域の除染対策等と取り組むべきである。これが私たち「ふくしま集団疎開裁判の会」が2011年からずっと言い続けてきた「復興」(私たちの言い方だと「命の復興」)である(菅谷昭松本市長もこの立場である)。
これに対し、福島県の子どもを汚染地域に住まわせ続けるやり方は、経済を最優先する余り、子どもの命を粗末にする「経済復興」である。
このように、復興には、少なくとも福島県が推進する「経済復興」と「ふくしま集団疎開裁判の会」や菅谷昭松本市長が主張する「命の復興」の2つがあり、人々はこの両方のことを知って、吟味した上で自らの決定を下すことができる必要がある。それが民主主義の基礎となる「言論と討論の広場」である。

この 「言論と討論の広場」に貴重な情報を提供したのが、今回の「美味しんぼ」である。
 「美味しんぼ」を読んだ読者は、(子どもたちが)福島から避難することと(大人が)福島を復興することが両立する「命の復興」という選択肢が現実味を帯びて迫ってくることだろう。
 そのとき、福島県が「美味しんぼ」が福島の復興を妨げていると非難するのは、単に、福島県が命より経済を優先する「経済復興」が妨げられていると文句を言っているだけのことだと理解できるだろう。命を最優先する「命の復興」にとって「美味しんぼ」は何ら妨げにならないどころか、鼓舞され、激励される。

福島県は、今こそ、「美味しんぼ」から学び、「子どもの命を守る」という政治の原点にたち返って、復興を再定義すべきである。

(※)自らは説明責任を果さず、少数意見の表現者には「断固容認でき」ないと抗議声明を出す福島県の言論抑圧に抗議する

(※)「漫画「美味しんぼ」の表現の自由を抑圧する福島県に抗議する」(ふくしま集団疎開裁判の会)  

2014年5月13日火曜日

自らは説明責任を果さず、少数意見の表現者には「断固容認でき」ないと抗議声明を出す福島県の言論抑圧に抗議する(2014.5.13)


  法律家 柳原 敏夫
民主主義で最も大切なのは「権威の座にある人たちの気に食わない意見を発表する自由」

大学で、法律のイロハとして、表現の自由の大切さについて、次のように教えられる―――真実に到達するためには自由な言論と討論の広場が不可欠である。そして、民主主義社会にとってこの広場の存在が最も重要な土台である。なぜなら、或る見解や政策に間違いや不公正があったときでも、自由な言論と討論の広場で議論をすることにより適切な世論が形成され、直接あるいは間接民主主義の過程を通じて、誤りを正すことが可能だからである。これに対し、もし表現の自由が抑圧された場合には自由な言論と討論の広場そのものが傷づけられ、真実に到達するための広場が機能しなくなって、もはや誤りを正すことが不可能になるからである(「憲法の基礎知識」84頁ほか)。
この意味で、政府や自治体(福島県)や学問的権威(原子力村)の見解に盲従する自由ないし賛成する自由なら、問題にする必要がない。表現の自由として守られるべき中心は批判の自由ないし反対の自由である。すべて権威の座にある裸の王様は人にそれを指摘されるのを嫌うからだ。つまり、表現の自由とは煎じ詰めれば、「権威の座にある人たちの気に食わない意見を発表する自由」のことである。この本質をヴォルテールは次の言葉で表現した(宮沢俊義「憲法講話」8頁)。
「わたしは、お前の言うことに反対だ。だが、お前がそれを言う権利を、命にかけて守る」

現代の科学水準では放射線による被ばくと健康被害の関係は大部分が灰色

放射線による被ばくと健康被害の関係(因果関係の有無・そのメカニズム)について、良識を備えた人なら次の事実から出発することに異論がない筈である――「被ばくによる人体への影響は、いまも科学的に十分解明されていないことが多くあり」「内部被曝によって起こる病気や症状のほとんどが、明らかに外部から被曝していない人にも発症するものだということです。それでいて、原因が被曝によるものだと特定する検査方法が確立されていませんから、病院に行ってもよほどのことがない限り、それが被曝によるものだと確定診断されることはありません」(1991年から5年半チェルノブイリに医療支援活動を行った菅谷昭松本市長「原発事故と甲状腺がん」52頁)

被ばくと健康被害の関係が科学的に十分解明されていないとは、或る健康被害が発生したとき、現時点の科学ではそれが被ばくの影響である(危険)と断定できなければ、影響がない(安全)と断定できないことを意味する、つまり危険の可能性を帯びた灰色だということだ。そこが今日の科学の到達点であり限界でもある。
そこで問題は、この「灰色」の事態とどう向かい合うか、である。菅谷松本市長は次のように言う――「放射線による健康被害が科学や医学では十分に解明されていない現時点においては、チェルノブイリの現実から学んでいくしかありません。不安な時だからこそ、正しい情報を元に冷静に判断してもらいたい」(同書まえがき8頁)。

チェルノブイリ事故から学ぶ最大の教訓の1つは、被ばくと小児甲状腺がんとの因果関係を科学的に解明するのに事故から20年もかかったことで、それまでに4000名の子どもが甲状腺がんになってしまったことである。私たち市民にとって第1に必要なことは被ばくと健康被害の因果関係の科学的解明ではない。被害発生前に全島避難した2000年の三宅島噴火のように、被ばくによる健康被害の可能性という「灰色」の事態からいかにすみやかに抜け出すかである。

この点で、チェルノブイリ事故との対比と並んで、もう1つ重要な情報がある。それが「3.11以前との対比」である。ここでは福島原発事故で被ばく体験した人自身の、3.11以前の健康との対比である。福島原発事故は日本がそれまで経験したことがない史上最悪の人災である。事故後、3.11以前にはなかったような身体の異変が起きた時、思い当たる原因としてまず被ばくを疑うのは極めて合理的である。そもそも彼らには、被ばくと健康被害との関係の解明に20年も待つ時間的余裕はない。彼らに必要なのは今すぐできる最善の行動への指針である。こうした切羽詰った状況にいる人々から「灰色」の意味を、自身の体験から(「限りなく」から「少し」まで様々なレベルがあるとしても)、黒に近い灰色という見解が出て当然である。灰色に関するこの種の見解にはそれなりの合理性があり、「根拠のない噂」=風評などでない。

福島県と双葉町は民主主義の試練に立っている
 4月28日と5月12日発売の雑誌「週刊ビッグコミックスピリッツ」連載の漫画「美味しんぼ」に福島県双葉町の前町長や福島大学の准教授が実名で登場し発言した内容は、自身の被ばく体験と同様の境遇に置かれた無数の市民たちから得た情報から導かれる範囲で、自身の見解を述べたものである(前町長の見解については、さらに医師により「被ばくとの関係」についてひとつの可能性として科学的な説明が補足されている)。それは現代科学では解明できない「灰色」をめぐる見解の1つになり得るもので、「根拠のない噂」=風評でない。

これに対して、福島県と双葉町は「総じて本県への風評被害を助長するものとして断固容認できず」「双葉町に事前の取材が全くなく、一方的な見解のみを掲載した、今般の小学館の対応について、町として厳重に抗議します」と抗議声明を出した。

本来、国や自治体は未曽有の人災である放射能災害の被害の解明について、市民に対し可能な限り懇切丁寧な説明責任を負っている。
他方、前述した通り、「美味しんぼ」に登場する双葉町の前町長や福島大学の准教授の発言内容は科学的に未解明な「灰色」に関する合理的な見解の1つである。
にもかかわらず、福島県は何の説明責任も果さずにこれを根拠のない噂」=風評と決めつけ、「風評被害を助長するものとして断固容認できず」と非難したことは、無実の者をいきなり有罪と裁く即決冤罪にひとしく、「権威の座にある人たちの気に食わない意見を発表する自由」に対するこの上ない脅しと言わざるを得ない。
のみならず、2人の見解は、たとえ少数者の声だとしても、同様の境遇に置かれた数知れぬ市民たちの切実な声を代弁したものである。福島県と双葉町の抗議声明はこれらの市民の切なる声をも「風評」として封じ込めてしまうものであり、科学的に未解明な被ばくと健康被害について、市民は政府と福島県が取る見解以外口にすることすら許さないという態度にひとしい。これでは独裁国家そのものではないか。

前述したヴォルテールの言葉「わたしは、お前の言うことに反対だ。だが、お前がそれを言う権利を、命にかけて守る」と正反対の道(独裁政治)を行こうとする福島県と双葉町は民主主義の試練に立っている。
そして、それをストップさせ、民主主義本来の姿に戻すのは主権者である私たち市民の手にかかっている。
共に抗議の声をあげ、機能不全に陥り唯我独尊でしか打開策を持てない凝り固まった姿を、私たち市民の手で元に戻しましょう。

2014年5月8日木曜日

父の涙、そして逃げる勇気(2014.2.28)


父の涙、そして逃げる勇気
                                                                          柳原敏夫
先日久しぶりに、ふくしまの子どもたちの避難支援のためのイラスト作成をお願いしに、ちばてつやさんにお会いしたとき、開口一番、「お父さんがお亡くなりなったそうで」と言われました。
「大地の子」のように、幼年時代、満州で九死に一生を得て帰国したちばさんには、同じ境遇を生き延びた親父のことが他人事には思えなかったのではないかと思いました。
明日の一周忌を前に、カミさんが、文集を編集し、父の写真を沢山掲載しましたが、その沢山の写真を眺めていて、あらためて、そこには決して収まることのなかった、終戦直後に満州平野を逃げ延びるときの父の姿が、脳裏の中で思い出されてなりませんでした。

1917年に新潟県佐渡島に生まれた父は、戦前、生来の人柄と大陸での生活のおかげで、能天気でお人好しの見本でした。それが終戦の1ヶ月で豹変しました。それまで、満州鉄道の職員として植民地生活の特権の端くれを享受していた父は、終戦前夜に至っても、大本営発表をうのみにして避難もしなかったふつうの人だった。しかし、8月9日、ソ連参戦の報と同時に現地招集されて事態が一変した。ろくな装備もないズサンな軍隊としてソ連兵と向かい合う羽目となり、偶然にも命を落とさず終戦1週間後に武装解除を迎えたが、今度はソ連兵に捕まってシベリア抑留になるまいと、ドブネズミのように満州平野を逃げ回る羽目となったからです。
このとき、父は初めて思い知ったそうです――自分は、軍の将校たち戦争推進者たちが逃げのびるための「盾(たて)」として召集され、ソ連兵との戦闘の最前線に立たされたのだ。自分はただの兵士ではないのだ、いけにえにされたのだ!と。
しかし、父の目の前にあるのは、途方もない満州平野だけで、自分を救ってくれるものは何もなかった。絶望する理由と現実はあり余るほどあった。にもかかわらず、彼は絶望しなかった。昼間は草原に身を隠し、夜間に行動して、1ヶ月後に中国撫順市に辿り着いたからです。でも、どうして? なぜ絶望しないで、逃げ続けられたの?それは長い間、私の謎でした。それは奇跡としか思えなかったからです。
しかし、父はこのとき、一度、死んだのです。だから生き延びられたのです。それまでの自分の無知を恥じ、「無知の涙」を流したからです。それまで行儀よくしつけられ、学校で社会で大本営発表をうのみにする羊のようにマインドコントロールされてきた自分を殺したのです。羊からドブネズミに生まれ変わったのです。
そして、ドブネズミに生まれ変わった彼の心を支えたのは「永遠の子どもらしさ」だった。彼はこのとき、子どもに生まれ変わったのです。この世で最強の者は子どもです。なぜなら、子どもには未来しかないからです。生きたい!という無条件の渇望しかないからです。世界一過酷な環境を父が生き延びれたのは生きたい!という渇望に支えられたからです。

このとき、もし父が絶望していれば、その後、私の命も、私の子どもの命も、昨年生まれた孫の命もありませんでした。いま、私が、子どもが、孫がこうして生きていられるのは、このとき父が絶望せず、逃げ延びてくれたからです。私は生まれて初めて、父の勇気に対し、そして先祖の勇気というものに対し、感謝の念を抱くことを知りました。
私たちが住む社会システムがタイタニック号と同じく、沈没することが時間の問題となった現在、沈没したあとに生き延びる私たちのために、父が残してくれた「父の涙と逃げる勇気」が最大の遺産であったことを痛感しています。                                                                                  
20142.28

※父のHP(オイの愉しみと闘い

2014年5月5日月曜日

安全性評価(リスク評価)の亀裂・崩壊をもたらした福島原発事故(2011.6.9)


安全性評価(リスク評価)の亀裂・崩壊をもたらした福島原発事故

 世の中には五十年、百年経ってみて初めてその意味が分かるようになる出来事がある。今から約百年前に発生した「人間と人間の関係」の人災=第一次世界大戦がそうである。当初、人々はこの戦争は短期間で終結する、半年後のクリスマスまでには家族と再会できると楽観して出征した。しかし、現実の進行は当初の予想を裏切り、過酷な大量殺戮兵器の出現、未曾有の死傷者・被害・惨禍をもたらした。しかもこの人災が収束したのは4年後(それはつかの間の休戦にすぎなかった)ではなく、31年後であったことを人々は後に思い知ることになる。人災=世界大戦の収束をもたらしたのはヒロシマ・ナガサキに投下された原爆であった。この時、人々は初めて世界大戦は核戦争による人類の絶滅で収束するという過酷な事実を思い切り頭に叩き込まれたのである。

 今年3.11に発生した「人間と自然の関係」の人災=福島第一原発事故はそれに匹敵する出来事である。当初、人々はこの事故は短期間で収束する、遅くとも年内には自宅に戻れると楽観していたが、天下の政府と東電が核燃料棒の崩壊熱に翻弄され続ける姿を目の当たりにして、その見通しは崩壊した。しかし、現実の放射能汚染がどこまで進行するのか、「見えない、臭わない、味もしない、理想的な毒」(スターングラス博士)である放射能は黙して語らない。福島にも例年通り、草木は芽吹き、春は訪れたが、しかしそれはそれまでの春と断絶した「沈黙の春」だった。では、我々は、いつ、この人災が収束するのを見届けることができるのだろうか。そして、その収束をもたらすものは何だろうか。工程表の実行?そんなものはつかの間の処理にすぎず、現実に進行中の大気・土壌・海中への放射能汚染対策は指一本触れられていない。世界大戦の収束をもたらしたものが「核戦争による人類の絶滅」という過酷な事実だったように、それは何年か後、何十年か後の、人々の頭に原発事故は放射能汚染による地球の絶滅で収束するという過酷な事実が思い切り叩き込まれたときである。

この意味で、3.11の大震災で亀裂が入ったのは東日本の大地だけではなかった。原発の安全性に対する国や企業の考え方はもちろん、バイオテクノロジーなどの先端科学技術の安全性に対する彼らの考え方つまりリスク評価を根底から揺さぶり、亀裂をもたらした。これまで、科学技術に関する小規模な事故や異変が発生しても国や企業は、可能性は認めても、「ただちに安全上問題が生じることはない」という今ではすっかり有名になった決まり文句でお茶を濁し経済的効率を優先してきたが、その流儀は人間たちをマインドコントロールすることはできても、自然界に対し無力だった。可能性がある事故は、いつか必ず「現実」のものとなる。それが今回の福島原発事故である。彼らのリスク評価の最大の問題は、それに対する用意と覚悟が全くできていないということである。それは事故直後の原子力安全委員会の議事録[1]を見れば一目瞭然である。国や企業は、放射能が「見えない、臭わない、味もしない、理想的な毒」として深い沈黙の中にいたので、あたかも人間と同様、放射能をマインドコントロールできたかのように錯覚し、タカを括っていた節すらある。

この間、天下の政府と東電の事故対策が「無力」なのは想定通りである。なぜなら、彼らがやってきたのは、可能性がある事故への備え・対策ではなく、「ただちに安全上問題が生じることはない」事故を怖れずに科学技術をひたすら実用化・応用化することだけだったからである。

但し、これは何も原子力技術に限らない。バイオテクノロジーでも同様である。6年前、新潟県上越市で、元農水省の研究機関により遺伝子組換えイネの日本で最初の野外実験が実施された時、組換えイネの安全性を危惧する地元住民の猛反対の声に対して、実験の責任者はこう述べた「怖いと言って手をこまねいてはいられない。研究者の使命だ」(2005年5月28日新潟日報)、と。その後の実験差止の裁判[2]の中で、微生物研究者が、この実験により、ヒトの健康と地球生態系に重大な脅威をもたらす可能性のある恐るべきディフェンシン耐性菌が出現したのは確実であると指摘したのに対して、この研究機関も、かつて、耐性菌が出現することを自分たちの論文中で認めておきながら、にもかかわらず、耐性菌対策として、この耐性菌に翻弄される以外、用意と覚悟が何もないことを明らかにした。このバイオテクノロジーでも、国は、「ただちに安全上問題が生じることはない」耐性菌を怖れずに科学技術(遺伝子組換えイネ)の実用化・応用化だけにひたすら邁進したのである。

原子力技術とバイオテクノロジーがもたらす人災に対する国や企業のリスク評価は、基本的に以上の通りである。だから、私たちの生活は事故が現実化しない限りで、かろうじて安全が保たれている。ひとたび事故が現実化したとき、国も企業も自然界に翻弄され、無力さをさらけ出す。その意味で、私たちは科学技術がもたらす未曾有の人災によって崖っぷちに立たされている。ヒロシマとナガサキのあと、判断をまちがえて世界戦争を起こしたとき人類は絶滅するように、フクシマのあと、「リスク評価」をまちがえて原子力事故(むろん、今なお進行中の福島原発事故も含まれる)や生物災害をおこしたとき人類は甚大な被害を蒙り、地球環境は絶滅するという崖っぷちに立たされている。人類の甚大な被害と地球環境を絶滅の危機から救うために、いま、「リスク評価」の方法そのものから全面的に転換する必要がある。つまり、「いかなる価値に基づいて、リスクを評価するのか」というリスク評価の根本問題について、これまでの国と企業の開発至上主義、経済効率至上主義という価値基準を無条件で放棄し、詩人ノヴァーリスが語ったように、かつての我々が持っていた、人類と地球環境が共存するという価値基準を全面的に回復させる必要がある。

「数や図形が
 すべての生きものの鍵ではなくなり、
 歌い、接吻する者が
 学を究めし者より多くを識り、
 世界が
 自由なる生の世界にたちもどり、
 光と影が
 ふたたび真の透明に結合し、
 メールヘンと詩に
 永遠なる世界の物語を知るときがくれば、
 誤れるものはすべて
 秘めたる言葉の前にとび去っていく」
                   (ノヴァーリス「青い花」より。上田真而子訳)
2011.6.9柳原敏夫)


[1] 原子力安全委員会2011年3月11日議事録:http://www.nsc.go.jp/anzen/soki/soki2011/genan_so16.pdf
[2] 裁判の公式HP「禁断の科学裁判」http://ine-saiban.com/index.htm

3.11のあとに出現した新人類(2014.5.3)

近頃、獨協大学で、福島原発事故から子どもを守る市民型公共事業について、単発の講義する機会を与えれました。
ろくに準備する余裕もない、付け焼き場の話でしたが、驚いたことに、講義を聴いた学生の殆どが感想を書いてくれたことでした。大学から送られてきた350通の感想文を手にして、「涙をこらえながら聞いていました」といった感想から、原発事故が大人だけではなく、一見黙っている多くの若者をいかに震撼する未曽有の出来事であったかを思い知らされました。

当日は時間切れのため、講義の後半を省略したので、ここにその概要を記します。講義を聴いた人で関心のある方は読んでください。

講義のテーマは、福島原発事故という現実と向かい合うとはどういうことか。何をすればよいか。

1、最初に必要な認識は「 福島原発事故は2度発生する」こと。
1度目は「人間と自然との関係」の中で、2度目は「人間と人間との関係」の中で(※)。

 (※)科学技術(テクノロジー)の問題を、すべて自然科学の中で、つまり自然と人間の関係の中で解決できる、それさえうまくできれば、それで全部、結果オーライだと考える傾向があります(もちろん、それで解決できる問題もあります)。しかしそれは、科学技術の問題を、もっぱら自然と人間の関係でしか見ない発想であって、そこには人間と人間の関係の問題が抜けている。現実に、科学技術(テクノロジー)を左右し、それを押し進めたり止めたりする力が必ず作用していて、それが人間と人間の関係の力です。たとえば国家の力とか、経済の力とか。市民の力とか。そういう人間と人間の関係の中での力が、最終的に科学技術(テクノロジー)の方向が決まるので、そこを無視しては環境問題やテクノロジーの問題、安全の問題は解決できない。
だから、科学技術の災害についても、人間対自然という関係だけではなくて、人間対人間の関係を絶えず念頭に置かなければならないし、むしろ人間対人間の関係のほうが、
根本である。(柄谷行人「世界史の構造」31~32頁。305~306頁参照)
 

2、次に、これを認識する視点:2つの「視差」の中で考える(※)。 
 ①.世界からみた福島原発事故  ②.世界史から福島原発事故
(※)カント「視霊者の夢」から。
「さきに、私は一般的人間悟性を単に私の悟性の立場から考察した、今私は自分を自分のではない外的な理性の位置において、自分の判断をその最もひそかな動機もろとも、他人の視点から考察する。
両者の考察の比較は確かに強い視差を生じはするが、それは光学的欺瞞を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真の位置におくための、唯一の手段である。」

3、 世界からみた福島原発事故
①.菅谷明松本市長のメッセージ
 なぜ、彼は今頃、こんなメッセージを表明したのか?


 

②.外国人からの声
4人の代表的な声 なぜ、彼らはそのような声を発したのか? 

キャサリン・ハムネット



            
スイス・ジュネーブ市長レミー・パガーニ


           
ノーム・チョムスキー



小出裕章さん(非日本的日本人)

日本には、普通の人に1年間に1ミリシーベルト以上の被曝をさせてはいけないという法律がありました。また、1平方メートル当たり4万ベクレルを超えて汚染しているものはどんなものでも放射線管理区域の外に持ち出してはならないという法律もありました。しかし、福島第一原子力発電所の事故で、東北地方、関東地方の広大な地域でこの法律を守れない汚染が生じました。
 日本が法治国家だというのであれば、国家がそこに住む住民たちをコミュニティーごと逃がす責任があります。しかし、この事故を引き起こした犯罪者と呼ぶべき日本政府は、今は緊急時だとして、彼ら自身が決めた法律を反故にし、汚染地に人々を棄てました。そこでは、棄てられてしまった人々が子どもも含め、生活することを余儀なくされてしまっています。
 私は、日本に住む大人には、原子力を許し、福島原発事故を許してしまったことに何がしかの責任があると思います。しかし、子どもたちには責任がありません。そして、子どもたちは被曝に敏感です。子どもは泥んこになって遊ぶものです。雑草にだって触れるものです。子どもが子どもらしく遊ぶことのできる環境を保証することは本当なら国家の責任です。しかしでたらめな国家が子どもたちを被曝させ続けており、少しでも子どもたちの被曝を減らすことは、大人たちの最低限の責任だと私は思います。
 これまでにもたくさんの方々が、子どもたちを一時的にも汚染地から遠ざける活動を担ってきてくれました。今回、松本避難プロジェクも始まるとのことで、ありがたく思います。
  
                          2013/8/14  小出 裕章    」
       

③.ふくしま集団疎開裁判を報道するニュース
   日本のテレビは1回だけ(2011年6月24日、TBS)。 



④.福島の現実(12年10月のジュネーブ国連でのスピーチから)

  日本政府の三大政策「情報を隠すこと」「事故を小さく見せること」「様々な基準値を上げること」

           チェルノブイリ事故から徹底して学んでいること。

           キエフの学童疎開

  健康被害の実態

  映画『シンドラーのリスト』を作ったあとのスピルバーグの発言「ホロコーストで起きていたことは、当時、チャーチルもルーズベルトも知っていた」。


⑤.2013年4月24日の仙台高裁の決定(判決)
 いっせいに、(日本をのぞく)世界主要メディアが報道->レポート

⑥.「まつもと子ども留学」プロジェクトのスタート

4、世界史からみた福島原発事故
   百年前に発生した第一次世界大戦との類似性と真の新人類の誕生

①.大岡昇平の指摘

ひとりひとりの兵士から見ると、戦争がどんなものであるか、分からない。単に、お前はあっちに行け、あの山を取れとしか言われないから。だから、自分がどういうことになって、戦わされているのか、分からない。
それで、戦争とはこういうもので、あなたはここに出動を命じられ、それで死んだんだということを、なぜ彼等は死ななければならなかったのか、その訳を明らかにしようとしたのです。(「レイテ戦記」執筆後のNHKのインタビュー)
  
3.11のあと、ひとりひとりの市民から見ると、福島原発事故がどのようなものであるか、どうしたらよいのか、真実は分からない。「健康に直ちに影響はない」「国 の定めた基準値以下だから心配ない」とかしか言われないのだから。だから、一体自分がどういう危険な状態にあるのか、どう対策を取ったらよいのか、本当の ことは分からない。

 それで、ひとりひとりの市民にとって必要なことは、「レイテ戦記」のように、福島原発事故とはこのようなもので、このような危険な事態が発生していて、それ に対して必要な措置を取らずにいると、言われるままにいると、ひとりひとりの市民には、今後、大変な健康障害が発生することを明らかにすることです。「ふ くしま集団疎開裁判」もまた、放射能に対する感受性の高い子どもに焦点を当てて、この真実を明らかにしようと
                                                          ②.正体が明るみにされた人々の共通性
 第一次世界大戦が勃発したとき、それまで弱者保護、人権擁護、社会主義的な主張を唱えていた多くの政党、団体が一転して《祖国防衛》に回り(その本音は自己の《組織防衛》)、人々を戦場に閉じ込め、死に追いやるという《隔離政策》=戦争推進政策に追随。

本質的にはこれと似た事態が3.11以後、日本にも生じたのではないか。3.11以降、なぜ、山本太郎といった無名の人たちが子どもたちを守るために献身的な働きをしたのか。それは、3.11以前に、子どもの権利を擁護すると称していた様々な人権団体、人々が、受身に回り、殆どまともな救援活動をしなかったために、山本太郎といった無名の人たちが目立つほかなかった。山本太郎がすごいと感心するよりも、従来の人権擁護を自称する人たちのひどさに目を向けるべき。

③.事実経過の共通性

   
「世の中には五十年、百年経ってみて初めてその意味が分かるようになる出来事がある。今から約百年前に発生した「人間と人間の関係」の人災=第一次世界大戦がそうである。
当初、人々はこの戦争は短期間で終結する、半年後のクリスマスまでには家族と再会できると楽観して出征した。しかし、現実の進行は当初の予想を裏切り、過酷な大量殺戮兵器の出現、未曾有の死傷者・被害・惨禍をもたらした。しかもこの人災が収束したのは4年後(それはつかの間の休戦にすぎなかった)ではなく、31年後であったことを人々は後に思い知ることになる。人災=世界大戦の収束をもたらしたのはヒロシマ・ナガサキに投下された原爆であった。この時、人々は初めて世界大戦は核戦争による人類の絶滅で収束するという過酷な事実を思い切り頭に叩き込まれたのである。  
 今年3.11に発生した「人間と自然の関係」の人災=福島第一原発事故はそれに匹敵する出来事である。当初、人々はこの事故は短期間で収束する、遅くとも年内には自宅に戻れると楽観していたが、天下の政府と東電が核燃料棒の崩壊熱に翻弄され続ける姿を目の当たりにして、その見通しは崩壊した。しかし、現実の放射能汚染がどこまで進行するのか、「見えない、臭わない、味もしない、理想的な毒」(スターングラス博士)である放射能は黙して語らない。福島にも例年通り、草木は芽吹き、春は訪れたが、しかしそれはそれまでの春と断絶した「沈黙の春」だった。では、我々は、いつ、この人災が収束するのを見届けることができるのだろうか。そして、その収束をもたらすものは何だろうか。工程表の実行?そんなものはつかの間の処理にすぎず、現実に進行中の大気・土壌・海中への放射能汚染対策は指一本触れられていない。世界大戦の収束をもたらしたものが「核戦争による人類の絶滅」という過酷な事実だったように、それは何年か後、何十年か後の、人々の頭に原発事故は放射能汚染による地球の絶滅で収束するという過酷な事実が思い切り叩き込まれたときである」(
安全性評価(リスク評価)の亀裂・崩壊をもたらした福島原発事故」の冒頭から)

④.新しい人々の出現
未曽有の出来事はまた、無名の人々の中から新しい人間を出現させた。
以下は、原発事故がなかったなら、出会わなかったような人々--過酷な現実を最後まで行き抜くことができる希望の人々。


(1)、陳述書「 どんな犠牲を払って自主避難したのか(1)


(2)、
陳述書「郡山市から東京、川崎市に自主避難した母子と子どもの健康被害について

(3)、
陳述書「どんな犠牲を払って自主避難したのか(2)

(4).「3.29 シリーズ 子どもと大人のための学習会」の参加者からのメール(1)

Subject: 本日福島テルサにてお会いしました○○です。

本日福島テルサにて声を掛けさせていただいた○○と申します。本日は大変お疲れ様でした。ありがとうございました。
こども福島のMLから集団疎開裁判の件は知っていました。脱原発の前に、まず福島の子供達に必要なのは今すぐ脱被爆です。本来なら国が率先して行わなければならないことを、このような形でこちら側からアクションを起こさねば動かせないこの世の中に、本当に失望します。しかし子供達にとって、福島の人間にとって、柳原先生のような大人達がいらっしゃること、心より救われる思いです。本当に、本当に、福島の子供達のためにありがとうございます。
裁判官も人間です、と、京都でお世話になっている弁護士の先生がおっしゃっていました。そう信じて、この裁判も必ずや勝ち取れると思っております。

私は当時妊娠中でした。震災後出産してすぐに、上の2歳の子と赤子の3人で知り合いすらいない京都へと母子避難しました。それから1年経ち、主人が仕事を辞め新築の家を売り、京都へと越してきてくれました。私達はあの日からまるで戦時中のような毎日を過ごしておりますが、福島を出るも出ないも地獄なのです。しかし何よりも、福島の子供達をお守りください。彼らは何一つ悪くない。彼らはこの世の中の犠牲になったのです。

私は未就学児を抱え見知らぬ地でまだあまり動きようがありませんが、今日柳原先生やむとうさんのお話を聞いて、何かしたい!何かしなきゃ!私に出来ることは?とさらに強く思いました。これもご縁で、連絡先をお伝えしますので、どうぞ繋がって下さい。

長くなりましたが、心より感謝の気持ちを込めて。ありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

○○ ○○

京都市○○区在住、福島市出身


(5).
3.29 シリーズ 子どもと大人のための学習会」の参加者からのメール(2)

Subject: 郡山学習会 お礼 ○○○○

 先日は、郡山での学習会に疎開裁判の呼びかけをして下さりありがとうございました。
これからの避難生活に不安でいっぱいでしたが、大変心強く、立ち上がる勇気が出ました。数週間まずは避難生活の基盤を整え、後に福島のこども達のため活動していきます。
 まずは先日のお礼と連絡先を送らせていただきます。
日頃のご活動に心より御礼申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

自宅住所 
福島県郡山市‥‥
○○○○○○ ○○(10歳)

避難先住所
東京都‥‥

○○ ○○

【郡山市その2】(上記の方が別のスタッフ宛に送ったメール)
遅くまでありがとうございます。
これまで、こういった裁判をして下さっていることを知りませんでした。多くの市民も未だに同じ状況と思われます。是非、原告募集のチラシとともに継続的に置かせて頂きたいと思います。
 理事長の夫からもチラシ設置の許可は受けましたが、私が医療法人内で公に活動するのは難しいため、すみませんが、柳原先生、岡田様からの依頼でチラシを設置しているという形式にして頂けると助かります。
 柳原先生にお礼と連絡先のメールはさせて頂きましたが、メール転送もちろん構いません。お世話になります。
 
 震災直後は、本当に危機的状況でした。
そして、世界、国民の皆様、市民、従業員、家族で力を合わせ震災後の混乱からは立ち上がることはできましたが、その後の国政、県政、市政に失望し、無力感から身動きが取れずにおりました。
 しかし、県民、子供たちのためにこんなにもご活動下さる皆様に出会うことができて生き返る思いです。本当にありがとうございます。
 長々とすみませんでしたが、感謝と決意を込めて。今後ともどうぞよろしくお願い致します。