2018年2月21日水曜日

命どぅ宝--福島脱被ばくの心--市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会3.18-19結成集会

《前置き》
福島原発事故について、人々とりわけ福島の人々はなぜ黙っているのか、なぜ被ばくについて喋らないのか、なぜもっと声をあげないのか--3.11以来ずっとこの問いがありました。
思うにそれは、福島の人たちが広島、長崎、沖縄の人たちと同じ経験をしてきたからです。

2012年12月に亡くなった「はだしのゲン」の作者中沢啓治さんは、「自伝」で、青春時代、原爆から逃げて逃げ回った自分について、こう語りました。
毎年、夏がくると「原爆!原爆!」とマスコミ等が騒ぎたて、私の気持ちは落ち込んで暗くなった。嫌でも広島の体験がよみがえり、やりきれない気持ちにさせられた。そして、自分が被ばくしたことで、なんか悪事を働いたような錯覚を覚えた。世の中の迷惑人間のように見る東京人の目の嫌らしさには、本当に腹が立った。‥‥
広島にいたとき原爆という言葉が嫌いで逃げていたが、東京に住んでからは、ますます原爆という言葉が嫌いになって逃げ回った。酒場や会合などで同県人だと聞かされると、原爆の話題が出ないことを祈るように願った。‥‥
私はもう二度と原爆という言葉を口にすまいと 決心した。本屋に行って書棚に原爆関係の本が並べられていると、目をそむけて通り過ぎた。新聞記事に原爆という文字が躍っていると、その記事は一切読まなかった。私は原爆という言葉と文字が本当に嫌いになった。(185~186頁)
広島で原爆を体験した子どもたちの作文を収録した 「原爆の子」(編者長田 新)で、兄を亡くした当時5歳の女の子は5年後にこう書きました。
私は、 戦争のことを考えたり、原子爆弾の落ちた日のことを思い出すのは、ほんとうにきらいです。ご本を読んでも、戦争のところはぬかして読んでいます。戦争のニュースで、朝鮮の戦争の場面が出てくると、ぞっとします。学校の宿題が出ましたので、いやいやながら、こわごわ思い出して書きます。‥‥
今から半年前に、十になる女の子が急に原子病にかかって、あたまのかみの毛がすっかりぬけて、ぼうずあたまになってしまい、日赤の先生がひっ死になって手当をしましたが、血をはいて二十日ほどで、とうとう死んでしまいました。戦争がすんだからもう六年目だというのに、まだこうして、あの日のことを思わせるような死にかたをするのかと思うと、私はぞっとします。死んだ人が、わたしたちと別の人とは思われません。私の家に、そんなことがおきたらどうしよう。私は原子病のくるしさをきいているだけに、おそろしくて、どうかして、それをわすれたいと思っています。‥‥
広島に八月六日にいた人は、だれでも戦争がきらいだと思います。附ぞく小学校も、まだ戦争でいたんだところが、そのままで、なおっていません。私の家がびんぼうになったのも、たくさんの借家がたおれたり、やけたりしたからです。
この八月六日は、お兄ちゃんの七周きです。その日が近づくとみんなが思い出すので、私はくるしく思います。(88~95頁)
沖縄戦を体験し、戦後、「銃剣とブルドーザー」で米軍に農地を取り上げられたの伊江島(いえしま)の西北端の真謝(まじゃ)の阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さんは、1973年の「米軍と農民」で、沈黙する沖縄の人たちについて、こう書きました。
 真謝(まじゃ)農民は、沖縄全体もそうでありますが、戦争のことを語ろうとしません。思い出すだけでも気が狂うほどの苦しみでありました。それと同様に、戦後の土地取り上げで米軍が襲いかかってきた当時のことも、話したがりません。みな、だまっています。 真謝(まじゃ)農民はたたかいました。だがそれ以上に、苦しみと犠牲は大きかったのでした。
だがその苦痛をふくめて、やはりわたしはお話しなければなりません。(18頁)
 それから20年後に書いた「命こそ宝」でも、阿波根さんはなぜこの本を書いたのか、こう述べました。
かつてわしは、『米軍と農民』のはじめにこう書きました--伊江島の人は誰も戦争のことを語りたがりません。戦後の土地とり上げでアメリカ軍が襲いかかった当時のことも、語りたがらない。思い出すだけで気絶するほどの苦しみでありました。だが、その苦痛をふくめて、やはりわたしはお話しなければなりません--
その思いはいまもかわりません。なおいっそう強くなっております。命が粗末に扱われてはいけない、どうしても平和でなければいけない、つらくても語り伝えなければならない。(14頁)
 福島の人たちも変わらない。原発事故のことを語ろうとしません。思い出すだけでも気が狂うほどの苦しみだったと思います。そして、原発事故後の「事故と被害を小さく見せる」ために襲いかかってきた数々の政策のことも話したがりません。みな、だまっています。 福島の人々は抵抗しました(福島県の健康管理調査に対して、23%しか回答しませんでした。国連人権理事会から日本に派遣された特別報告者も「大変低い数値」と指摘するほどです)。だがそれ以上に、苦しみと犠牲は大きかったのです。
だがその苦痛をふくめて、やはり福島の人たちは話さなければなりません。でなければ、福島でまた再び、広島、長崎、沖縄、伊江島、チェルノブイリの悲劇をくり返すことになるからです。

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《本題》
原発事故で誰も被ばくしたくない。 それは「命どぅ宝」だからです。

原爆投下直後の広島の廃墟の中で生まれた赤ん坊の泣き声を聴いた人がいました。その人は、その泣き声に救われ、その泣き声を忘れず、この赤ん坊が成長し、のちにドラマ「夢千代日記」が完成した。

福島原発事故でも、見えない廃墟の中で生まれた赤ん坊の泣き声を聴いた人がいました。その人は、その泣き声に救われ、その泣き声を忘れず、この赤ん坊が成長し、のちに或るものを完成させたいと願った。
そしたら、その赤ん坊の泣き声を聴いた人がほかにもいることを知りました。その人たちもまた、赤ん坊の泣き声に救われ、その泣き声を忘れない人たちでした。そして、その人たちの願っていることも一緒だったことを知りました。
その願いとは「命どぅ宝」を法律に翻訳した「チェルノブイリ法日本版」。
その人たちが一同に会して、原発事故の廃墟の中で聞いた赤ん坊の泣き声のように、絶望の淵にいた私たちの心を救った赤ん坊の泣き声のように、声をあげることにしました。

それが、以下の市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会 結成集会です。



2018年1月8日月曜日

チェルノブイリ法日本版とかけて何と解く?予防原則、そして憲法9条と解く。その心は‥‥

チェルノブイリ法日本版は放射能災害において、人々の命、健康、暮らしをどう守るかについての解決策を示したものです。その解決策のエッセンスが予防原則です。

2015年、ノーベル文学賞を受賞したスベトラーナ・アレクシエービッチさんは、原発事故が人々に与えた影響について、こう指摘しました。 

チェルノブイリ事故は大惨事ではない、そこでは過去の経験はまったく役に立たない、チェルノブイリ後、私たちが住んでいるのは別の世界です。前の世界はなくなりました。でも、人々はそのことを考えたがらない。不意打ちを食らったからです‥‥何かが起きた。でも私たちはそのことを考える方法も、よく似た出来事も、体験も持たない。私たちの視力、聴力もそれについていけない。私たちの言葉(語彙)ですら役に立たない。私たちの内なる器官すべて、そのどれも不可能。チェルノブイリを理解するためには、人は自分自身の枠から出なくてはなりません。感覚の新しい歴史が始まったのです。》(「チェルノブイリの祈り」31頁)。

例えば、人の即死のレベルである10シーベルトの放射能は通常のエネルギーに置き換えたとき、10ジュール/kgで、これは体温をわずか0.0024度上げるにすぎない(→落合栄一郎講演会)。たったこれだけのエネルギーが放射能ではなぜ人に即死をもたらすのか。このような謎に満ちた放射能災害は科学的知見など人類のこれまでの知識では理解不可能な、未知との遭遇です。

そのような未知との遭遇の中で人々の命、健康、暮らしを守るにはどうしたらよいか。

この点について、アレクシエービッチさんは、最初、放射能に勝てると思っていた人々の、その後の変化について、こう述べています。

人々はチェルノブイリのことは誰もが忘れたがっています。最初は、チェルノブイリに勝つことができると思われていた。ところが、それが無意味な試みだと分かると、今度は口を閉ざしてしまったのです。自分たちが知らないもの、人類が知らないものから身を守ることは難しい。チェルノブイリは、私たちを、それまでの時代から別の時代へ連れていってしまったのです。その結果、私たちの目の前にあるのは、誰にとっても新しい現実です。‥‥ベラルーシの歴史は苦悩の歴史です。苦悩は私たちの避難場所です。信仰です。私たちは苦悩の催眠術にかかっている。‥‥何度もこんな気がしました。これは未来のことを書き記している‥‥(「チェルノブイリの祈り」33頁)

放射能災害で放射能に勝てると思ったら、その考えは人々を滅ぼす。 人間と違って、放射能に慈悲はなく、マインドコントロールも利かず、放射能は自己の自然的性質を無慈悲に貫徹するだけだからです。
そこで、放射能災害に直面して、放射能には勝てないと、つまり放射能の自然的性質に対し無力であることを認めた上で、人間が指針とすべき解決策とは何か。それが予防原則つまり、将来取り返しのつかない事態が発生する恐れがあるものについて、その発生が起きないように前もって予防的な措置を取ること」です。
放射能災害の場合、この「予防的な措置」とは被ばくしないことです。具体的には、被ばくする場所・環境から逃げること、避難することです。この予防的な措置」を国家の責任で実行することを明記したのがチェルノブイリ法日本版(→その条例モデル案)です。

くり返すと、
1、放射能災害において、人々の命、健康、暮らしを守る解決策のエッセンスは予防原則です。
2、予防原則を放射能災害に即して具体化したものがチェルノブイリ法日本版です。
3、つまりチェルノブイリ法日本版の核心は予防原則です。

未曾有の過酷事故である福島原発事故は、原爆とはちがうけれど、もうひとつの核戦争です。放射能汚染地域は桁違いな量でくり返される核分裂と同時に発射される放射線とのたえまのない戦いの世界だからです()。

この意味で、チェルノブイリ法日本版は放射能災害という一種の核戦争時において、放射能から人々の命、健康、暮らしを守る「放射能災害憲法9条」です。

)福島原発から放出された大量の放射性物質によって、外部から、そして体内に取り込まれ内部から、桁違いな量でくり返される核分裂と同時に発射される放射線とのたえまのない戦い(年間1mSvだけでも「毎秒1万本の放射線が体を被曝させるのが1年間続くもの」(矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授))を強いられているからです。「核分裂による放射線の被ばく」という、目に見えず、臭いもせず、痛みも感じない、私たちの日常感覚ではぜったい理解できない相手との戦いの中にほおり込まれています。それは放射性物質(核種)からの攻撃という意味で核戦争です。

2018年1月6日土曜日

復興 わたしを被ばくにさらさないで

わたしは放射能で被ばくした者。
それはまだ終わっていない。
人々をマインドコントロールできたとしても、放射能をマインドコントロールすることはできない。
被ばくした者の切なる願い
被ばくから復興したい。
だから
わたしを被ばくにさらさないで。

それは
わたしは放射能で命を失いたくない。子どもの命を失いたくない。
わたしは放射能から命を守りたい。子どもの命を守りたい。

わたしは放射能で健康を失いたくない。子どもの健康を失いたくない。
わたしは放射能から健康を守りたい。子どもの健康を守りたい。

わたしは放射能で暮らしを失いたくない。子どもの暮らしを失いたくない。
わたしは放射能から暮らしを守りたい。子どもの暮らしを守りたい。

そして、
わたしは放射能で尊厳を失いたくない。子どもの尊厳を失いたくない。
わたしは放射能から人としての尊厳を守りたい。子どもの尊厳を守りたい。

わたしたちは放射能から復興したい。
それは
放射能から私たちの命、健康、暮らし、尊厳を守ること。

命の復興
健康の復興
暮らしの復興
尊厳の復興
これが復興の原点。
被ばく者の、被ばく者による、被ばく者のための復興がここから始まる。

これは
子どもたちの叫び。
子どもたちの命令。

その叫びをカタチにしたのがチェルノブイリ法日本版()。
だから、チェルノブイリ法日本版は子どもたちの叫び。

その命令をカタチにしたのがチェルノブイリ法日本版。
だから、チェルノブイリ法日本版は子どもたちの命令。

子どもはガマンしない。
私もガマンしない。
ここに私の尊厳はある。

子どもたちはガマンしない。
私たちもガマンしない。
ここに私たちの尊厳はある。

)参考:【チェルノブイリ法日本版】伊勢市条例(柳原案)

2018年1月4日木曜日

末人を超えて(自由の森で語る第1回自主講座「ゲスト柄谷行人」から)(1995年10月28日)

以下は、1995年10月28日、自由の森学園で開いた第1回自主講座で、ゲストの柄谷行人さんの発言です。

  ***************
司会
じゃ、最後にどうぞ。

父母
正直言って、僕、自由を本当に考えている人か、いや自分が不自由だということを真剣になって考えている人は、周り見て自分もよくよく考えてみると、ほとんどいないんじゃないかと感じています。
今自由じゃなくて、僕自身の今の状態、結構不安なんですよね。それで、自森の今状態なんかでも、すごく不安です、正直言って。
だからそういう意味で本当に自由っていうものは何なのかっていうことを問い直さなくてはならないんじゃないかなと思っているんです。

自分の家庭の中でもそうなんですけど、自分の本当の思っていることを言えないっていうか、表現するのが悪だという感覚があって、それを抜け出さなきゃならないんじゃないかな。そういう意味では先程の女性だけだとか、そういうふうな人しか小説なんか書けないっていうような論調に僕はとったんですけど、そうじゃなくてあらゆる人が言われていた今を認識するっていうか、そっから自由が“である"んじゃなくて“となる"というところに、自由が本当にあるんだということが言われていましたけれども、そういう意味で、あらゆる人が小説も書けるし、もの書きのもなれるし、創造者といようなものをやっていく可能性があるというか、そういうものを充分もっているんじゃないかと思うんです。

そういう意味で、自森の子供達の様子というか、僕なんか来るのは何か行事があったり、寮の父母なんですが、父母会のような時しか子供が見えないわけですね。だけど、表面みると、煙草吸ったり、トイレの中のドアが壊れたり、そういうような状態しか目にっかないんですけど、ぽけっとして、講堂なんかの子供達がやっていることとか、学園祭の時玄関ホールで中学生の女の子がコーラスをやっていましたけど、その中で強制されなくてやっている、輝いているものがあるんですよ。そういうものに心豊かにさせられる、引きっけられるんですが。こういうふうに自森、自由というものが成り立っているものだから、その中で育っているものを我々自身がもっと重視し、認識していかなければならないんじゃないか。その中で育つものに大きな希望があるんじゃないかということが今感じている素直な感想です。

柄谷
小説に関して言ったことは、貴方が言ったのとぜんぜん逆の意味ですよね。僕の言ったのは。簡単に言うと、小説が全く重要な意味をもった時期とそうでない時期があるということです。小説において、かって宗教がそうであったぐらいの情熱が注がれたわけです。
また、そのような器でもあった。戦後文学をみたら分かります。あらゆるものがそこに投げ込まれているわけです。今それをそれをやっている人がいて、この前埴谷雄高が発表しましたけど、彼は60年間同じものを書いているわけです。

しかし、今は小説はそのような器と成り得ないだろうと思うんですね。それは何も悪くないと思うんですよ。それはそれで。他にいろいろあるわけですから。昔みたいに何もなかったんだから、小説しかない、となるわけです。それから他のものがあまりにも脚光を浴びなさ過ぎるということがあるんですね。例えば野球だったら野球ばっかしで、他のスポーツはオリピックぐらいの時に騒がれて、やっぱりやる気がなくなるでしょ。そういう意味でいくと小説、小説と騒ぎ過ぎるなといいたい。なんなんだということでね。何もないじゃない。僕も批評家みたいなことで、最近選考委員なんかいくつかやっているんですけど、もう読むのもいやでね、なんだって、ものすごい時間のむだをしたっていう。昔のものはいいんですよ。だけど、今の小説を読むと、結局、時間を浪費した、そのなんていうか怒りで、耐えられないですね。

そのことは別にしまして、もう一っのことですけど、今日、柳原さん自身からも感じたことなんですけど、この学園は親が熱心ですよね(笑)。それで、こういう所に来るでしょ。ふっうはないんですよ、こういうことは。そのことだけでも、変わってるんですから(笑)。その場合、親の夢というものが入っていると思うんですけど、親は何者なのかっていうと、必ずその反面教師をもってきた人達ですよ。つまり、自由がなかった人達ですよ。ですから、子供にはそれをさせないようにする。そういうことがあるんです。しかし、そのような条件をもともともった子供達はどうなるのか、ということを考えていないと思うんです。おそらく、そこから今の問題(学内暴力事件)は出てきているはずなんです。ですから、それは重要な実験だと思うわけです。未来に関して。

歴史の終焉という議論があった時に、日系のアメリカ人でフランシス・フクヤマっていう人が、へ一ゲルをつかって書いたんですけどね。量後の人間っていうことを、“末人"というんですけどね、末の人っていう、これはですね、何をやっているかというと、だいたいそれを考えた人はフランシス・フクヤマではなくて、一人はコジェーブっていう東欧からフランスヘ行った人なんですけどね、その人がそういうことを言ったんですけど。
へ一ゲルから歴史の終わりにはどういう状態になるかと言った時に、彼は最初ね、アメリカ人のようになる。アメリカ人のようになる、どういうことかって言うと、動物性というか、精神が全くない。フロリダあたりで、もうひっくり返っているような人達、そういう感じでしょうね。しかし、そのコジェーブが1960年くらいに日本に来たんですね。そうするともう、考えを変えてね、本の第二版には、註にね、書き加えてるんです。「私は今まで歴史の終わりにはアメリカ人のようになるんだろうと思ったが、日本人のようになる。」(笑)。どういうことかって言うと、全く精神のない動物にはならない。だけど、精神的な闘争とかですね、へ一ゲルは闘争があることが精神なんですから、それがなくなった状態っていうのがどうなるかっていうと、本当は彼は、スノビズムといっているんですけど、いわゆるスノーブではないんですね。どういうことかって言うと、日本は1600年以降、歴史のない時代に入った。戦争が終わったわけですね。そうすると無意味なことをやる。まあ、生け花でも何でも。腹切りもそうなんですね。ほとんど無意味なことをプレイとしてやる。そのような、別に彼は日本の事をよく知っているわけでも何でもないですよ。ただ、ある意味で当たっていると思うんですが、彼が言うには、世界は今後日本化するだろう。そうするとね、僕が思うには、ある種の精神性を持たない、しかももう実現すべきものも何も持たなくなってしまって、最終段階っていうのは、どういうふうになるか。なんか、アメリカ的になるか、日本的になるか、確かそういう感じがするんですよ。

でも、僕はそれは、最後ではないと思っているんですよ。それはね、全世界がそうなるっていうことになった時はそうなる可能性もあるが、今の段階では、日本でそうなっていようと、外は違うんですね。外には貧困もあれば、もう絶望があるわけです。単純にあるわけです。そのようなことを全く無視していられる状況が、日本にあるだけなんですね。そうであれば、それは末人でもなんでもないわけです。最後の人間でも何でもないわけです。そのような条件そのものが崩壊する可能性もあるわけです。
ですから、僕はむしろ、認識っていっているのは、そういうことを認識するべく、やるべきだと思っているわけです。そうでないと、少なくとも、外からの緊張っていうのはここに入って来るはずですよね。それで、(自由の森という)場所だけで、場所として自由を確保していくというだけでは、結局はそれは耐えられないだろう。僕はやっぱりその、闘う用意をしておくべきだと、闘うというのは自由であるべく闘うという用意ですね。それをしてないと、まあ、末人のようになってしまうんじゃないか。

司会
最後に一言だけ、話をさせてください。今日長時間にわたって、柄谷さんにいろんな話をしていただいたんですけど、私自身、柄谷さんがこの学校に来てくれることが、まだ本当に半信半疑だったんですけど、最後に末人の話を聞きまして、少し納得がいきました(笑)。
やっぱり、ここは自由の実験をやるべく学校であるということですね。四苦八苦されると思いますが、そういう意味では非常に、やり甲斐のある学校であることを、柄谷さんから注目というか、認めてくれたということになりまして、またばかな親として、引き続きがんばろうと思います。

2017年12月26日火曜日

【お知らせ】3月3日、東京大学「学問の自由」侵害裁判の原告柳田辰雄教授の最終講義「私の学融合と学問の自由」

2018年3月3日に東京大学「学問の自由」侵害裁判の原告柳田辰雄教授の最終講義を、以下の通り行います。
当日は、パネルディスカッション、参加者との公開討論も予定しています。
誰もが参加聴講できます。
このテーマに関心を持つ方の参加をお待ちしています。

◆◆ 柳田辰雄教授最終講義 ◆◆
題名:「私の学融合と学問の自由」
日時:3月3日(土) 午後2時~
場所:東京大学大学院経済学研究科棟 3階 第2教室
地図->http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_08_01_j.html
パネルディスカッションの発言者
・ 柳田辰雄
  ->HP


・ 平山朝治(筑波大学人文社会系教授)
 ->HP
      

・ 柳原敏夫(法律家。東京大学「学問の自由」侵害裁判の原告代理人)
 ->HP
                     





  (C)1996 Naoyuki Kato


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学問の自由とは・・・


 教員研究者は、思想を表明することを専門職能上の業務としており、職責上思想を表明しない自由をもたない。しかも、彼らは、みずから職能遂行上の手段をもち、依頼者と直接個人的に接する他の専門職能とことなり、研究手段からきりはなされており、大学設置者に雇われることにより始めて研究手段に接近し、また役務の受け手(それは集団化されているという特色をもつ)に接することができる。教員研究者が真理と信じることを表明することによって、研究手段を奪われることを、市民的自由行使に対するしっぺ返しとして容認することは、かれらの専門職能遂行を不可能ならしめることである。 
                                           高柳信一学問の自由」より

憲法は、なぜ、表現の自由・思想信条の自由の保障のほかに、さらに学問の自由を保障したのか?・・・
 
1、現代憲法(日本国憲法等)において「学問の自由」が登場した理由 

明治憲法には 表現の自由を保障したが、「学問の自由」は保障しなかった。日本国憲法で初めて「学問の自由」の保障が登場した。なぜ、新憲法で初めて登場したのか。
 また、これはこう言い換えることができる--日本国憲法は思想および良心の自由や表現の自由など一般的な市民的自由を保障しており、本来なら、研究の自由はこれらの保障で足りる筈である。それなのになぜ、その上に「学問の自由」を保障したのか。
それは以下の通り、学問研究をめぐる研究者の環境が変化したからである。

2、学問研究をめぐる研究者の環境の変化 

研究者といえどもまず生きていかなければならない。論理的には人間としてまず生きる条件が満たされて、次に研究することができる。そこで、サラリーマンとして商店主としてまたは農民として生きる糧を得て、その余暇に、余力をもって学問研究を行う場合がある。このような研究に対して、思想および良心の自由や表現の自由などの一般的な市民的自由(以下、この意味で「市民的自由」と呼ぶ)が保障されるのは当然である。しかし、近代社会の進展の中で、研究対象がますます複雑化し、研究方法がいよいよ精緻化するにつれ、こうした余技としての研究は例外的となり、それに代わり、学問研究の主要な地位を占めたのが、余技としてではなく、生活の糧も学問研究の場も同時に得る雇用された研究者たちの職業としての研究である。彼らは、大学に代表される教育研究機関に雇用され、生活の糧を与えられながら、同時に、教育研究機関において学問研究に専念したのである(以下、この職業的研究者を「教員研究者」と呼ぶ)。

 この雇用関係の結果、本来であれば、教員研究者が教育研究機関において学問研究に従事するにあたっては、彼らに対し、教育研究機関が雇主として有する諸権能(業務命令権、懲戒権、解雇権[1]等)を行使することが認められる。しかし、学問研究とは本来、これに従事する研究者が自らの高められた専門的能力と知的誠実性をもって、ただ事実に基づき理性に導かれて、この意味において自主的にこれを行うほかないものである。そこで、もしこのような本質を有する学問研究に対し上記諸権能の行使がそのまま認められたのでは、教員研究者の教育研究機関における学問研究の自主性が損なわれるのは必至である。なぜなら、雇主は使用人である教員研究者の研究態度や研究内容が気に入らなければ、雇主の権限を用いて使用人を簡単に解雇することが出来、或いは使用人の研究内容や方法についてあれこれ指示を出すことも出来、雇主の指揮命令下にある使用人である教員研究者はこれらの措置に従わざるを得ないからである。雇主のこれらの措置の結果、結局において、教員研究者の教育研究機関における学問研究の自由は存在の余地がなくなる。

3、学問研究をめぐる研究者の新しい環境に対応した新しい人権の登場 

以上より、仕事の余技として学問研究を行うのではなく、教育研究機関に雇われて当該機関で使用人としての立場で学問研究を行うという「新しい環境」(その環境は偶然のものではなく、近代資本制社会において構造的に必然のものとして出現している)の下では、教員研究者に、単に個人として一般的な市民的自由を保障しただけでは、彼らの主要な学問研究の拠点である教育研究機関内部において学問研究の自由を保障したことにはならない。教育研究機関の内部においては、教員研究者は雇用における指揮命令の関係によって、一般的な市民的自由は既に失われているからである。

 そこで、教育研究機関の内部においても、教員研究者に既に失われた市民的自由を回復し、もって教員研究者の学問研究の自由を保障するために、新しい皮袋=新しい人権を用意する必要がある。それが「学問の自由」が登場した所以である[2]。すなわち19世紀後半以降、新しい人権として「学問の自由」が意識され、その保障が要求されるようになり、遂にその保障が実現されるに至ったのである。この意味で、教育研究機関の内部で一般的な市民的自由の回復をはかる「学問の自由」は市民的自由と同質的なもので、従ってそれは学者(教授)という身分に伴う特権ではなく、教育研究機関における真理探究という終わりのない過程ないし機能そのものを保障する「機能的自由」であり、それは学問的な対話・コミュニケーションであるからそのプロセスに参加するすべての者に保障されるものである(高柳「学問の自由」36~41頁。61~65頁)。

                                               (原告準備書面(8)

本件事件:国際政治学か国際法専攻の研究者を採用するための教授人事において発生した3つの違法行為とは・・・

※ 予備知識:東大柏キャンパス新領域創成科学研究科の教員人事手続の流れ

①.本来、教授人事の具体的な教授候補者の募集が進行している場合、発議した専攻の基幹専攻会議で応募者の中から候補者を1名決定します。
 しかし、本件では、教授人事の具体的な教授候補者の募集が進行しているさなかに、何らの手続も採らずに、突如、この教授人事が「中断」されました。このような事態の発生はおよそ考えられず、これを禁止するルールすら存在しないほど異常な出来事です。

②.本来、どの専門分野の教授を採用するか、一度決定された分野をその後、都合により変更する場合には、その教授人事を学術経営委員会に発議(提案)した専攻の基幹専攻会議であらためて討議・決定する必要があるというルール(申合せの注1)があります。
 しかし、本件では、このルールを無視して、発議した専攻の基幹専攻会議の討議・決定を経ないで、変更された新分野の教授人事が学術経営委員会に発議(提案)されました。

③.本来、学術経営委員会に発議(提案)された分野変更については、学術経営委員会は分野選定委員会を設置し、分野選定委員会は会議を開催し、そこで審議・決定するルール申合せ)があります。
  しかし、本件では、分野選定委員会の開催・審議・決定という手続を取らずに、その手続があったかのように仮装して、分野変更が決定されました。
 さらにこの仮装に関して、公務員は職務に関して虚偽の内容の文書を作成すると虚偽公文書作成罪となりますが(刑法156条)、本件では、実際は開催されなかった、分野選定委員会が開催され、審議の結果、全員一致の承認による決定があったとする虚偽の内容の報告書が作成され、学術経営委員会に提出されました。この報告書の作成は刑法の虚偽公文書作成罪となります。

以上の詳細は->原告準備書面(6)


 関連記事
福島原発事故後に専門家・研究者はなぜ沈黙の中にいるのか:それは学問の自由の侵害と繋がっている(2017.12.23) 

努力しない限り絶望できない:人権侵害裁判を起こし、最終局面で「人権侵害は終わってる、彼らは自ら無意識に人権を放棄しているからだ」と悟った男(2017.12.10)

2017年12月24日日曜日

福島原発事故後に専門家・研究者はなぜ沈黙の中にいるのか:それは学問の自由の侵害と繋がっている(2017.12.23)

本日、東京大学「学問の自由」侵害事件の解説用の動画を作成し、アップしました。

その中で、私がこの事件に関心を抱いた動機をこう述べました。

私は、2011年3月11日までは、「学問の自由」に大きな関を持たなかった。しかし福島原発事故の発生後の日本社会の歪みはそれ以前とは断絶しているほど酷いものです。そうした歪みに最も敏感なのが大学の先生を代表とする知識人です。だから、大学の先生たちから色んな声があがるのではないかと思っていました。しかし、現実には大学の先生たちから殆ど声はあがらず、まるで福島原発事故はなかったかのように沈黙したままでした。思わず、今の大学の先生の正体は隠れキリシタンかと思いました。大学の先生が隠れキリシタンなのは、彼らに実際上、大学で表現の自由も学問の自由もないからではないかと考えるようになった。大学に学問の自由がないことが、311後の日本の歪みを象徴する出来事のように思えてきた。これが私が、東大「学問の自由侵害」事件に関心を抱く理由です。

今月10日、この歪みを告発する番組
NHKスペシャル「追跡 東大研究不正
~ゆらぐ科学立国ニッポン~」が放送され、番組の最後で東大の堀昌教授(薬学系)がこう言いました。

世の中的な価値判断にあわせる形で、自分の研究の方向性すら変えていかなければならない、資金を得るために
そういう状況はまさに本末転倒になっていて、
そういう状況は非常に大きな問題を感じています。


今、東大を含め日本で進行している研究不正の根本が、金銭による学問の自由の支配、研究者の自由の喪失にあることが示されました。これも、現代における学問の自由の侵害の典型です。

問題は、こうした人事の不正、研究不正の最大の被害者は誰かです。それは、 研究の成果に基づいて作られた現代社会の中で生きざるを得ない私たち一般市民にほかなりません。それは、400年前、地動説を唱え迫害されたガリレオと同じです。ローマカソリック教会による迫害により最大の被害を被ったのは、天動説のもとで、天動説に基づいた封建的なピラミッド型秩序の中で不当な扱いを受けていた一般民衆でした。ガリレオの地動説は新時代の到来を告げる真実として、一般民衆を解放するものだったからです。
この真実は今も変わりません。学問の自由が奪われるというのは、私たちを解放する、新時代を告げる真実が奪われることになるからです。私たちは、私たちを解放する、新時代を告げる真実を取り戻すために、学問の自由を取り戻す必要があります。

【第1部】東大 学問の自由侵害事件

【第2部・第3部】東大 学問の自由侵害事件

 参考資料
前提となる資料:東大柏キャンパス新領域の組織体制->こちら。教員人事の流れは->こちら
今回の裁判の決め手となった証拠、上記の動画でも取り上げられている重要な資料を2つ紹介します。

1、教員人事で、教員の「分野及びポスト」を変更する場合の手続を定めたルール
    そのルールには、発議した専攻で、再度、審議・決定することとされていることです(以下の注1)。
   今回の教授人事では、このルールが無視されました。
   その上、看過できないことは、今回の裁判の中で、東大がこのルールが存在することを知りながら、すっとぼけていたことです。


 2、実際には開催されなかった2009年11月25日の分野選定委員会が開催され、分野の変更について討議され、柳田氏も含め全員一致で承認したとする虚偽の内容の報告書(これが学術経営委員会に提出され、分野選定委員会で分野の変更が承認されたという報告が承認された)。
  


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