2017年11月16日木曜日

チェルノブイリ法日本版の制定は私たちの意思で決められることではなく、子どもたちの命令である(11.11新宿デモのスピーチから)

                                                     柳原 敏夫
被ばくから子どもたちの命、健康、暮らしを守るチェルノブイリ法日本版の制定は大人たちの意思で自由に決められることではなく、天子である子どもたちの命令です。

これは、2017年11月11日の「脱被ばく」を求める新宿デモでスピーチした以下の話(ただし、後半加筆)の中の一節です。

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思ったままに言いたいことを率直に語るのが、このデモの意味、大切なところです。
その積りで、私も率直に話します。

先日、子ども人権裁判の原告のお母さんの陳述書を作成するため、ヒアリングをしました。その中で、2011年4月に文科省が出した20ミリシーベルト引き上げの通知をどう思いましたか?と尋ねたところ、このお母さん曰く、
「バカじゃないの、文科省は‥‥」
 これが福島のお母さんの率直な気持ちです--文科省は原発事故後の自らの行動によって、自らを存在しないにひとしい、ゴミみたいな存在に貶めたのです。
‥‥‥‥
中国では、昔、王さまのことを天子と呼びました。王さまは、絶対者である天の委託を受け、天の代理、いわば天の子として、人民のために天命を実行し、人民を支配する存在だったからです。王さまが王さまである所以・根拠は、血統ではなく、もっぱら天命を忠実に実行しているかどうかにありました。だから、ひとたび王さまが天命を実行していないとされれば、王である根拠を失い、滅ぼされてもよかったのです(易姓革命)。

もし天子が天に代わって天命を実行する者だとしたら、原発事故のあとの天子とは、文字通り、子どもたちのことだと思うようになりました。
チョムスキーは2012年1月、ふくしま集団疎開裁判の会に、次のメッセージを送ってくれました。
社会が道徳的に健全であるかどうかをはかる基準として、社会の最も弱い立場の人たちのことを社会がどう取り扱うかという基準に勝るものはない、

この言葉はチョムスキー個人の見解というより、国境、時代、人種を超えた普遍的な言葉です。だから、これは東洋で言う天の言葉=天命です。そうだとすると、この天命を忠実に実行できる者とはこの問題の当事者である「社会の最も弱い立場の人たち」です。具体的に、その人たちとは、チョムスキーのメッセージの続きに書かれた、、
許し難い行為の犠牲者となっている子どもたち以上に傷つきやすい存在、大切な存在はありません。
と示された、これ以上に傷つきやすく、大切な存在はない「子どもたち」のことです。
つまり、社会の最も弱い立場にいる子どもたちこそ、天に代わって、天が心から願う天命を忠実に実行できる天子です。

10月末、東京地方裁判所の、福島原発被害東京訴訟の弁論終結の日に、中学生が次の通り、最終陳述を述べました。

原発によって儲けたのは大人。原発をつくったのも大人だし、
原発事故を起こした原因も大人。
しかし、学校でいじめられるのも、
『将来、病気になるかも…』と不安に思いながら生きるのも、
家族が離ればなれになるのも、僕たち子どもです」
「僕たちはこれから、大人の出した汚染物質とともに生きる事になるのです。
その責任をとらずに先に死んでしまうなんて、
あまりに無責任だと僕は思います。
せめて生きているうちに自分たちが行った事、

自分たちが儲けて汚したものの責任をきちんととっていって欲しい 」(民の声新聞

原発事故を起した大人が子どもに対して果す責任の1つがチェルノブイリ法日本版の制定です。
これは政策論争とか人気取りがどうのこうの言う以前の、子どもより先に死んでいく、ずるい大人が果すべき人道上の責任です。 言い換えれば、
「被ばくから子どもたちの命、健康、暮らしを守るチェルノブイリ法日本版の制定は大人たちの意思で自由に決められることではなく、天子である子どもたちの命令です」

だから、チェルノブイリ法日本版の制定は天命=子どもたちの命令なのです。

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