2017年11月4日土曜日

先端科学技術の闇に穴をあける試み、10年の集大成を提出(2017.11.3)

2017年10月31日と11月1日、遺伝子組換えイネの実験ノートの情報公開を求める裁判において、この実験ノートの情報公開請求をした2007年以来10年間に考え、検討してきた原告の主張を集大成した書面(事実問題に関する主張書面法律問題に関する主張書面)を提出しました()。

)その後の経過
・11月8日、この裁判の第20回目の弁論が開かれ、 当日で審理終結、判決言渡しが3月2日(金)午後1時25分と決定(その報告は->こちら)。
・11月9日、原告は、事案整理のため、法律問題・事実問題に対する原告主張を網羅した主張一覧表を作成、裁判所に提出(一覧表は->こちら

この裁判は、人類の科学技術の総決算として登場したバイオテクノロジーという先端科学技術の研究現場で、実際に何が行なわれているのか、その闇の現実に光を当てようとするシビリアンコントロール(先端科学技術に対する市民の監視)の取り組みです。
この裁判の動機の1つが、バイオテクノロジーの開発が引き起こす可能性がある生物災害、これまで、人類の科学技術の開発が様々な公害、薬害、原子力災害を引き起こしてきた悲惨な体験と同様、生物災害が最も徹底した悲劇として発生する前に、これを食い止めることでした(→そのバイテク・ノート)。

しかし、その目的を達成する前に、私が予感していた生物災害を遥かに上回る人災が発生しました。311福島原発事故です。もしこの事故以前に、原子力発電所に関する原子力工学の研究・開発現場の闇に情報公開という光が投じられていたらこの事故は防げたと確信しています。情報公開制度は、こうした人類の存亡に関わる問題にこそ真っ先に活用される必要があるのです。

他方、実際に裁判をやってきて、被告の担当者や証人として出廷した研究者の言動・姿を見ていて、彼らが彼らなりに必死になっている様子が伝わって来ました。しかし、彼らの必死さは「どんなことがあっても実験ノートを公開してはならない」という彼らが所属する組織の至上命令から来るものです。彼らの思考はそこで停止している。自分たちが取り組んでいる先端科学技術が自分と自分の家庭の外で、この日本、この地球全体にとってどういう意味を持っているのか、そこに思いを及ぼしことがないように思える。そのため、人類の存亡に深刻な影響を及ぼすまでの力業を持つに至った先端科学技術の研究・開発が市民から見えない、当事者だけの世界の闇に閉じ込められ、シビリアンコントロールが効かなくなった時、原発事故のように、それがひとたび暴走した暁には、どんな深刻な事態を引き起こすかも想像をめぐらすことができない。その結果、最大の被害者となるのが私たち普通の市民であることにも、彼ら研究者は真剣に想像をめぐらすことができない。少なくともこの倫理観の欠如が彼ら研究者が思考停止に陥っている最大の理由である。
 この問題の発端となった2005年6月、新潟県上越市の北陸研究センターで遺伝子組換えイネの野外実験の田植えの実施をめぐって、安全性を憂慮する地元住民たちの反対の声に対して片山秀策センター長が述べた次の言葉(→これを報じた新聞記事)はこの実験の研究者たちの心情を率直に吐露したものです。それに対し、私たち市民も素人だからといって手をこまねいているわけにはいかない。
怖いと言って手をこまねいてはいられない。研究者の使命だ

と同時に、このことを深く憂慮するのがやはり同じ立場にいる研究者だ。 今回に限らず、これまで原告の書面作成に、多大な貢献をしてくれた生物学の良心的な研究者の人たちから、今回提出した書面に対し、
《いったいこの国はどうなってしまうのでしょう。》
といった憂慮や以下の感想が寄せられた。彼らの率直な声は、先端科学技術の研究者だけでなく、こうした研究の推進を許してきた私たち市民全員に突きつけられた課題です。

◆それにしても、本件のみならず、最近の我が国の自然科学の危機をひしひしと感じます。単純に言えば、研究者がその結果やプロジェクトの意味を考えることなく、大きなお金に飛びつく。それらは一般に出口が決まっていて、新たな学術領域の開拓にはつながらない。これは諸外国と比較すると例外的に科学技術への国家予算を減らしている、という状況からすると、仕方ない面もないでもないのですが、研究者が自分がやったことに正直になれないとすれば、一体それは誰のためのどんな研究だったのか--。実は我々研究者もそんな状態を招いた責任の一旦を免れることはできないように感じています。

 以下、その提出にあたって、私の感想です。

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                     10年目の節目を迎えて

 この裁判は、2005年4月、被告が、国策の名の下に、耐性菌問題、交雑問題など様々な安全対策について安全性が確認されていないまま、屋外で遺伝子組換え実験を実施すると発表し、これを知った多くの市民と地元自治体の反対の声に真摯に耳を傾けることもなく、市民に十分納得の行く説明もないまま、5、 遺伝子組換えイネの田植え強行されたことに端を発し、屋外遺伝子組換え実験の中止を求める仮処分裁判の申立がなされた(禁断の科学裁判

 他方、 かねてから情報公開をライフワークとし、わが国の人権保障の歴史にも輝かしい一石を投じたローレンス・レペタさんは(彼の著作「闇を打つ」)、先端科学技術に対する市民のコントロールの重要性という観点からこの事件関心を抱き2007年、耐性菌問題について被告が実施した実験の生データを記録した実験ノートの公開を求めて、開示請求を行ないましたが、被告は「実験ノートは研究者の私物であるから、開示の対象である法人文書に該当しない」として開示を拒否してきました。そのため、レペタさんは、被告のこの処分の取り消しを求めて、この裁判を提訴しました。

  先端科学技術の現場がいかに危ういもので、闇であるかは、福島原発事故私たちの頭に叩き込んでくれました。とはいえ、先端科学技術の現場に身を置いた経験のないレペタさん代理人弁護士にとって、遺伝子組換え技術の実験とその実験ノートの運用の実情を理解し、これを裁判所に伝えることは「言うは易き、行い難し」の至難の技でした。そのため、ずっと、ジグザグの試行錯誤の中を手探りで歩むようなものでしたが、開示請求手続から10年、ようやく私たちはこの問題の核心を掴み、実験ノートの情報公開について、確信をもってあるべき姿を提示することができるのではないかという信念に到達したように思う。かつて、「国敗れて3部あり」名を馳せた行政部の藤山雅行判事、「法律家の仕事は同時代のみならず歴史的な評価にも耐えるものでなければならない」と述べましたが、私たちの心境もこれと同じです。今回提出した2つの書面は歴史の審判、すなわち歴史の中で、様々な人々、市民の批判にさらされ、その無数の関所と試練をくぐり抜けて初めてその真価が明らかにされることを受けて立つ用意のある書面だということです

 しかし、そのような自負に到達した背景には、
先端科学技術の素人である私たちたちをサポートしてくれた数々の良心的な専門家の人たちの大変な努力がある。とりわけ、生物災害の危険性最後まで警鐘を鳴らし続けて、今年4月逝去された恩師生井兵治さん(以下の写真は生前最後の写真。彼の意見書)に、の書面を捧げたい 

                                             (2015.5.23新宿デモ)

追悼 生井兵治:生井は生きている(2017.6.21)

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