2017年6月28日水曜日

なぜ今、チェルノブイリ法日本版条例の制定なのか--チェルノブイリ法日本版その可能性の中心--(9)「疑わしきは守る」原則の宣言

先ほど述べた、311以後の事態とは、その直後に敢行された「法的クーデタ」を元祖とする、秘密保護法、戦争法、共謀罪‥‥と次から次へと出現する法的なクーデタのパレード、法の闇の出現です。
その結果、非人間的な扱いを受け、いわれのない苦しみの中に置かれて来た最大の被害者は、自主避難したか、しないでとどまったかを問わず、汚染地の子どもたちと住民です。

この闇に対し、なすべきことは単純明快です。
311以後、事実の闇と法の闇に覆われた日本社会に再び真実と正義を回復し、光を取り戻すことです。
そのためには、311以後の法の闇の諸悪の「根源」に立ち戻り、この根源を断ち切ることが必要です。そして、その1つが311以後ねじ曲げられた基準値を311前に戻し、国際基準の避難の権利を保障するチェルノブイリ法日本版という人権法の制定です。


それは約百年前に魯迅が語った、次の言葉を思い出させます。

《「いかなる暗黒が思想の流れをせきとめようとも、いかなる悲惨が社会に襲いかかろうとも、いかなる罪悪が人道をけがそうとも、完全を求めてやまない人類の潜在力は、それらの障害物を踏みこえて前進せずにはいない。》魯迅「随感録」(竹内好訳・ちくま文庫「魯迅文集3」)

その際、留意する必要があるのは、放射能から人々の命、健康を守るためには、「見えない、臭わない、味もしない、理想的な毒」(スターングラス博士)とされる放射能の特質を踏まえて具体化する必要があることです。 この点で、従来の災害・人災とは決定的に異なり、この点を無視しては、放射能から人々の命、健康を守ることが絵に描いた餅になってしまいます。
では、この点を踏まえて救済を具体化するためには何が必要か。それは「疑わしきは守る」つまり予防原則の適用です。それは、
放射能と健康被害との関係があり(クロ)と確定されなくても、
両者の関係がグレーであると判明したら、これ以上、人々を放射能から被ばくさせず、命、健康を守るための措置(基本的には避難の権利を保障すること)に出ることです。

では、 放射能と健康被害との関係があり(クロ)と確定されなくても、なぜ「疑わしきは守る」のでしょうか?

それは決して、 放射能災害の場合だけ特別扱いする訳ではありません。むしろその反対です。「見えない、臭わない、味もしない、健康被害が発症するまで時間がかかる」といった放射能災害の特質を踏まえたら、「疑わしきは守る」という原則を採用しないと、実際上、放射能から人々の命、健康を守ることができなくなるからです。言い換えれば、「疑わしきは守る」という原則を採用することで、初めて、放射能から人々の命、健康を守ることが実効性をあげることができるのです。

このことをもう少し詳しく見ていきます。
①. 放射能災害の特質として、次のことがあげられます。
(1)、予見不可能性
 外部被ばくにせよ内部被ばくにせよ、放射線が身体に衝突すれば電離作用を引き起こし、分子を切断します。切断される分子がDNAの場合、とくに健康被害に直結すると言われています。
ただし、低線量被ばくの場合、それによって、人体にどのような健康被害をもたらすかはまだ未解明であり、健康被害との関係が確定的に明らかになっていません。つまり、健康被害の可能性は否定できないけれど、具体的な予測を立てることができません。この意味で、健康被害について予予見不可能なのです。
(2). 回復不可能性(不可逆性)
 のちに、放射能により健康被害が発症したとき、手術することはできたとしても、それを回復し、健康を元の状態にもどすことは不可能な場合が殆どです。
(3)、晩発生
 低線量の被ばくの場合、 実際に健康被害が発生するまでに時間がかかること。

 一般に、このような新しい要素(予見不可能性・回復不可能性・晩発生) をはらんだ事故・災害については、もはや従来の事故を想定したリスク管理では対応できないため、この新しい事態に即応した新しい対応を取ることが求められ(新しい酒は新しい皮袋に盛れ)、そこで見出されたのが予防原則=「疑わしきは守る」でした。放射能災害でも同様です。
 その上、福島原発事故のような放射能災害では、次の事情も存在しました。

②.予防原則の当事者
 誰(WHO)の救済が問題となっているかですが、 ここでは、汚染地の子どもたちと住民です。すなわち、原発事故の発生に何の加害責任のない人たちです。それゆえ、この人たちは被害者として、全面的な救済を求める資格があります。

③.救済の時期
 何時(WHEN)の救済が問題になっているかですが、ここでは、平時ではなく、事故時の救済が問題となっているのです。平時なら、仮に、放射能を浴びる危険と原子力から得られる社会的・経済的利益を天秤にかけて安全基準を決定するという「リスクーベネフィット論」を検討する余地があるとしても、この議論は事故時には通用しません。事故時において、事故から得られる社会的・経済的利益など考えられないからです。だから、事故時には、放射能を浴びる危険だけを考えて、避難の権利に関する基準を決定すべきです。

以上の①から③の諸点を考慮すれば、原発事故から人々の命、健康を守るためには、、「疑わしきは守る」という予防原則の採用を引き出すのが正義の帰結だと絶対の確信をもって言うことができます。

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