2017年6月29日木曜日

なぜ今、チェルノブイリ法日本版条例の制定なのか--チェルノブイリ法日本版その可能性の中心--(1)~(11)

2016年12月4日、宝塚市の学習会「チェルノブイリ法って何?」で、チェルノブイリ法日本版の条例制定について喋りました。以下は、当日しゃべったことにもとに書き直したものです。

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なぜ今、チェルノブイリ法日本版条例の制定なのか--チェルノブイリ法日本版その可能性の中心--
(1)、はじめに(自己紹介) 

(2)、原発事故は2度発生する 


(3)、原発事故の1度目の事故(チェルノブイリ) 


(4)、原発事故の1度目の事故(福島) 


(5)、原発事故の2度目の事故

(6)、原発事故の1度目の事故の意味(チェルノブイリ) 


(7)、原発事故の1度目の事故の意味(福島) 


(8)、原発事故の2度目の事故の意味(福島) 


(9)、「疑わしきは守る」原則の宣言 


(10)、「救済のロードマップ」を再定義する 

(11)、「オールジャパン」「公共事業」を再定義する

なぜ今、チェルノブイリ法日本版条例の制定なのか--チェルノブイリ法日本版その可能性の中心--(11)「オールジャパン」「公共事業」を再定義する

311事故当時、関西にいた東京電力の清水正孝社長は自衛隊機で東京本社に戻ろうとして、搭乗を拒否されました。その自衛隊機に、311直後の3月18日に乗り込み福島入りして、

《国の基準が20ミリシーベルトという事が出された以上は、 我々日本国民は日本国政府の指示に従う必要がある。
日本という国が崩壊しないよう導きたい。チェルノブイリ事故後、ウクライナでは健康影響を巡る訴訟が多発し、補償費用が国家予算を圧迫した。そうなった時の最終的な被害者は国民だ。》
と発言したのは長崎大学の山下俊一教授です。
この発言に代表されるように、311直後から、財政負担が大変だという理由でチェルノブイリ法の制定を批判する声があがっていました。

しかし、本当に日本という国はお金が足りないのでしょうか。
なぜなら、日本政府は、他方で、311以後、
1、2012年の欧州債務危機に際しては、真っ先にIMF600億ドル(約5兆円)の拠出を表明しました(
4月17日、安住財務大)。よその国の問題解決のためにそれほどお金を出す用意があるのだから、自分の国で、放射能汚染の中に住む子どもたちの危機に際して、子どもたちの避難のために出すお金がないなんて言えません。また、山下氏は《日本という国が崩壊しないよう導きたい。》と言うのなら、安住財務相のこの発言に対してこそ真っ先に異議申立すべきです。しかし、彼はそんな異議申立はしていません。
2、2013年度の復興予算7兆5089億円のうち、35.3%の2兆6523億円が執行されなかったと復興庁が発表しました(2014年7月31日日経新聞)。なかでも、福島原発事故からの復興・再生予算は53%が使われませんでした。
3、誰ひとり住まない無人島(竹島・尖閣諸島)の救済には熱心に取り組むけれど、原発事故に何の責任もない、正真正銘の被害者である子ども達がたくさん住む福島については子どもたちを救おうともしなかった。いったい国を守るって、何なのでしょうか。

つまり、311直後に誰かが言った通り、日本政府も、
《お金は足りている。足りないのは愛なのです。 

そして、この予算の問題の本質を重々踏まえた上で、さらに言うのですが、
避難の権利の実現は、お金の給付だけで解決するような単純な取組みではない、ということです。
なぜなら、このプロジェクトは、単に箱物を作るといったハードの問題ではなく、汚染地から避難する人々の、避難先での新しい人間関係、新しい生活、新しい仕事、新しい雇用を作り出していく、そのためには、避難先の地域創生の取組みとセットとなって初めて、成し遂げることができる、壮大な再生の公共事業だからです。
そのためには、これまでの行政主導型の公共事業では実現不可能であり、そこに様々な形で住民、市民が協力、支援、応援をするという市民主導型の公共事業が求められるのです。
つまり、原発事故という国難に対し、文字通り、オールジャパンで市民が参加して、避難者と一緒になって避難の権利の実現プロジェクトを遂行していく必要があります。

これが「 「オールジャパン」「公共事業」の再定義です。

これは決して夢物語ではありません。日本でも世界でも既に実例が存在するからです。
茨城県霞ヶ浦の再生で知られる「アサザプロジェクト」が、 市民主導型の公共事業の実例です。

                     アサザプロジェクトの全体像


また、地域再生では、市民参加型の公共事業として成功を収めた、人口3万の山形県長井市の地域資源循環型システムレインボープラン」。

 世界では、国からも見放され、失業、貧困の経済的危機に直面した市民たちがそこから抜け出すため、お互いに助け合い、支え合うという相互扶助の精神で、協同労働=協同経営の新しい働き方を自ら取り組んで獲得し、 経済的危機を克服した事例がいくつもあります。

その代表的なものが、 70年前、スペイン・バスク地方の寒村モンドラゴンで、
28歳の神父アリスメンディアリエタたちが始めた「モンドラゴンの協同組合」。以下は、韓国の映像作家のドキュメンタリー(予告編)のモンドラゴンの紹介文です。

 《モンドラゴンの人たちは言う--モンドラゴンはユートピアではないし、自分たちも天使ではないと‥‥ただ一緒に生き残る賢明な道を探しただけだと。
 世界金融危機が訪れた2008年、むしろ14,938人の新規雇用を創出して‥‥奇跡を起こしたスペイン9位の企業
(映画「モンドラゴンの奇跡」)

ブラジルのポルトアレグレの連帯経済。以下は、現地を取材した日本人研究者のレポートです。
ポルトアレグレがつくる新しい世界参加型民主主義と連帯経済の源流」(小池洋一)


             参加型予算システムの中で最初に行われる地域住民による集会

カナダ・ケベック州の社会的経済


 


韓国の青年連帯銀行(トダクトダク協同組合。単なるお金の支援ではなく、お金をキーワードにして新しい仕事と仲間を作り出していった)。以下は、2015年に来日し、日韓の貧困問題を話し合う集会での紹介文(→集会のチラシ)。

 トダクトダク協同組合(青年連帯銀行)は2013年2月23日、「反貧困たすけあいネットワーク」をモデルにして、韓国で誕生。
“トダクトダク”とは、日本語に訳すと“トントン”。若者たちが、お互いを励まし合いながら背中をトントンとたたく姿をイメージしてつけられました。
「若者のためのオルタナティブなセーフティネット」
夢多き若者たちの連帯銀行「トダクトダク協同組合」は、若者が自らつくってゆく金融生活協同組合であり、若者のためのオルタナティブなセーフティネットです。
‥‥続きはこちら

311直後に自衛隊機で福島入りした人がこう言いました--ピンチはチャンス。どんなひどい人間でもいい言葉を
ひとつくらいは残すという見本ですが、いま、この言葉を単なる美辞麗句終わらせるのではなく、本当に活かすために、実現可能なビジョンとして掴む必要があります。

そのとき、既に日本と世界で若造たちの手で挑戦され、実現してきた、これらの実例をヒントにすれば、「ピンチをチャンス」に転換し、実現可能なビジョンとして掴めると思うのです。

ここがロードスだ、ここで跳べ!
 

なぜ今、チェルノブイリ法日本版条例の制定なのか--チェルノブイリ法日本版その可能性の中心--(10)「救済のロードマップ」を再定義する

今まで私が述べてきたことは、一言で言うと、
放射能災害が実際に何を意味するのか、これを定義し直すことでした(再定義)。
そこから、「放射能災害から命、健康を守る」ために何をすべきかを再定義してきました。

今度は、 放射能災害からの救済を実現するロードマップとして、いかなるやり方が実現可能なのか、これを再定義することです。

既に、2012年6月に、 放射能災害からの救済を実現するものとして「子ども被災者支援法」が制定されましたが、これは抽象的な理念を掲げた理念法にとどまり、その実現は政府に委ねられたため、期待されたものの、結果的には、「放射能災害から命、健康を守る」ものとして機能しませんでした。つまり、従来の代表民主主義の立法過程を通じては、「放射能災害から命、健康を守る」立法の制定とその実施は絵に描いた餅であり、まず実現不可能です。

だからといって、私たちは諦める必要はありません。民主主義は何も代表民主主義だけではないからです。私たち一人一人の市民の意思を反映した直接民主主義、参加型民主主義もあるからです。とりわけ原発事故のような国難に直面した時こそ、国政に私たち一人一人の市民の意思を反映させる必要があり、その意味で、チェルノブイリ法日本版の制定こそ直接民主主義、参加型民主主義の理念に沿って取り組む意義があり、それが必要なのです。

しかし、「チェルノブイリ法日本版を制定せよ」と単に言い続けるだけでは、平和を夢見み、祈るのと同じで、永遠に実現されることはないでしょう。

では、現実的に、どのようにやったら実現されるのでしょうか。
その現実的なビジョンとして、既に、2つの成功例、モデルが日本と世界にあります。
1つは、日本で、1999年に市民立法を実現した情報公開法の制定運動の歴史です。
もう1つは、世界で、1997年に市民の尽力で成立した対人地雷禁止条約の制定運動の歴史です。

どちらも、市民の草の根の持続的な積み重ねの中から、一歩一歩、夢を形にしていきました(そのロードマップを以下にまとめました)。 

私たちの取組みとは挑戦です。未だかつてなかったような(その意味で)新しい災害と危機に直面し、その解決のために新しい意識と新しい行動が求められているからです。


幸い、私たちには、別の意味で前人未到の課題に挑戦し、紆余曲折の末に輝かしい成功を収めた2つの実例が存在します。
だから、の成功例に背中を押され、
制定までのロードマップについて現実的なビジョン※1を持ちながら、夢を一歩一歩形にする取組みに、挑戦することが可能です。

以上、放射能災害の真実、放射能災害の正義、放射能災害の救済のロードマップ、この3つについて再定義を試み、それを実行すること、
ここに、チェルノブイリ法日本版その可能性の中心があるのだと思います。


制定までのロードマップ
前者は、最初の一歩が、日本各地の自治体で地元市民と議員と首長が協力して情報公開の条例を制定し、次に、その条例制定の積み重ねの中から、最終的に情報公開法の制定にこぎ着けました。後者は、世界規模の取組みだけに以下の通り、紆余曲折を経ましたが、最後にゴールにこぎ着けました。

①.2人の若い女性(以下の写真参照)の思いからスタート
②.欧米の6つのNGOによる「地雷禁止国際キャンペーン」(ICBL)の結成
③.くり返し、世界各地で集会を開き、アピールし、参加するNGOが増加
④.ベルギーで世界初の「対人地雷全面禁止法」成立。
⑤.NGOから地雷の全面禁止に積極的な国々(カナダ、オランダなど)に呼びかけて、「いっしょに会合を持とう!」と提案

⑥.ICBLと政府代表者による初会合がジュネーブで開催→カナダ政府が「秋にオタワでNGOと地雷禁止に賛成する国を招いて国際会議を開こう」という提案し実現。しかし意見が割れまとまらず。カナダ外相、再度「来年12月にオタワで対人地雷を全面的に禁止する条約の調印式を開きましょう!」と提案→進展へ。
⑦.検討の末、「賛成する国だけで条約を作る」という前例のないアイデアを採用し進められ、同時に「一般の人々を巻き込む地雷は人道問題だ」と反対国を説得。

⑧.1997123日、オタワで対人地雷全面禁止条約が締結(※2)。




※1対人地雷禁止条約の制定に尽力したジョディ・ウィリアムズさんのスピーチ
 世界平和の現実的なビジョン」(日本語字幕)
→その文字起し
 Jody Williams: A realistic vision for world peace(英語のみ)
 

※2)「地雷禁止国際キャンペーン( ICBL。60ヵ国以上から1000を超えるNGOが参加)」とコーディネーターのジョディ・ウィリアムズさんはその活動が評価され、1997年のノーベル平和賞を受賞しました。


2017年6月28日水曜日

なぜ今、チェルノブイリ法日本版条例の制定なのか--チェルノブイリ法日本版その可能性の中心--(9)「疑わしきは守る」原則の宣言

先ほど述べた、311以後の事態とは、その直後に敢行された「法的クーデタ」を元祖とする、秘密保護法、戦争法、共謀罪‥‥と次から次へと出現する法的なクーデタのパレード、法の闇の出現です。
その結果、非人間的な扱いを受け、いわれのない苦しみの中に置かれて来た最大の被害者は、自主避難したか、しないでとどまったかを問わず、汚染地の子どもたちと住民です。

この闇に対し、なすべきことは単純明快です。
311以後、事実の闇と法の闇に覆われた日本社会に再び真実と正義を回復し、光を取り戻すことです。
そのためには、311以後の法の闇の諸悪の「根源」に立ち戻り、この根源を断ち切ることが必要です。そして、その1つが311以後ねじ曲げられた基準値を311前に戻し、国際基準の避難の権利を保障するチェルノブイリ法日本版という人権法の制定です。


それは約百年前に魯迅が語った、次の言葉を思い出させます。

《「いかなる暗黒が思想の流れをせきとめようとも、いかなる悲惨が社会に襲いかかろうとも、いかなる罪悪が人道をけがそうとも、完全を求めてやまない人類の潜在力は、それらの障害物を踏みこえて前進せずにはいない。》魯迅「随感録」(竹内好訳・ちくま文庫「魯迅文集3」)

その際、留意する必要があるのは、放射能から人々の命、健康を守るためには、「見えない、臭わない、味もしない、理想的な毒」(スターングラス博士)とされる放射能の特質を踏まえて具体化する必要があることです。 この点で、従来の災害・人災とは決定的に異なり、この点を無視しては、放射能から人々の命、健康を守ることが絵に描いた餅になってしまいます。
では、この点を踏まえて救済を具体化するためには何が必要か。それは「疑わしきは守る」つまり予防原則の適用です。それは、
放射能と健康被害との関係があり(クロ)と確定されなくても、
両者の関係がグレーであると判明したら、これ以上、人々を放射能から被ばくさせず、命、健康を守るための措置(基本的には避難の権利を保障すること)に出ることです。

では、 放射能と健康被害との関係があり(クロ)と確定されなくても、なぜ「疑わしきは守る」のでしょうか?

それは決して、 放射能災害の場合だけ特別扱いする訳ではありません。むしろその反対です。「見えない、臭わない、味もしない、健康被害が発症するまで時間がかかる」といった放射能災害の特質を踏まえたら、「疑わしきは守る」という原則を採用しないと、実際上、放射能から人々の命、健康を守ることができなくなるからです。言い換えれば、「疑わしきは守る」という原則を採用することで、初めて、放射能から人々の命、健康を守ることが実効性をあげることができるのです。

このことをもう少し詳しく見ていきます。
①. 放射能災害の特質として、次のことがあげられます。
(1)、予見不可能性
 外部被ばくにせよ内部被ばくにせよ、放射線が身体に衝突すれば電離作用を引き起こし、分子を切断します。切断される分子がDNAの場合、とくに健康被害に直結すると言われています。
ただし、低線量被ばくの場合、それによって、人体にどのような健康被害をもたらすかはまだ未解明であり、健康被害との関係が確定的に明らかになっていません。つまり、健康被害の可能性は否定できないけれど、具体的な予測を立てることができません。この意味で、健康被害について予予見不可能なのです。
(2). 回復不可能性(不可逆性)
 のちに、放射能により健康被害が発症したとき、手術することはできたとしても、それを回復し、健康を元の状態にもどすことは不可能な場合が殆どです。
(3)、晩発生
 低線量の被ばくの場合、 実際に健康被害が発生するまでに時間がかかること。

 一般に、このような新しい要素(予見不可能性・回復不可能性・晩発生) をはらんだ事故・災害については、もはや従来の事故を想定したリスク管理では対応できないため、この新しい事態に即応した新しい対応を取ることが求められ(新しい酒は新しい皮袋に盛れ)、そこで見出されたのが予防原則=「疑わしきは守る」でした。放射能災害でも同様です。
 その上、福島原発事故のような放射能災害では、次の事情も存在しました。

②.予防原則の当事者
 誰(WHO)の救済が問題となっているかですが、 ここでは、汚染地の子どもたちと住民です。すなわち、原発事故の発生に何の加害責任のない人たちです。それゆえ、この人たちは被害者として、全面的な救済を求める資格があります。

③.救済の時期
 何時(WHEN)の救済が問題になっているかですが、ここでは、平時ではなく、事故時の救済が問題となっているのです。平時なら、仮に、放射能を浴びる危険と原子力から得られる社会的・経済的利益を天秤にかけて安全基準を決定するという「リスクーベネフィット論」を検討する余地があるとしても、この議論は事故時には通用しません。事故時において、事故から得られる社会的・経済的利益など考えられないからです。だから、事故時には、放射能を浴びる危険だけを考えて、避難の権利に関する基準を決定すべきです。

以上の①から③の諸点を考慮すれば、原発事故から人々の命、健康を守るためには、、「疑わしきは守る」という予防原則の採用を引き出すのが正義の帰結だと絶対の確信をもって言うことができます。

なぜ今、チェルノブイリ法日本版条例の制定なのか--チェルノブイリ法日本版その可能性の中心--(8)原発事故の2度目の事故の意味(福島)

311以後の、秘密保護法の成立、安保関連法(いわゆる戦争法)の成立、共謀罪の成立‥‥と次から次へと政府の強引な政治運営に対し、
一般市民から、《私たちの社会は、 原発事故後 、 人が助け合えず、力でもって脅かされる、 そんな方向へ向かっている。 》という感想が寄せられ、
学者から、《従来の憲法解釈の変更と称して、集団的自衛権の行使ができる場合があるとした2014年7月1日の閣議決定は法的なクーデタである》(毎日新聞記事)というコメントが寄せられています。

しかし、これは311の原発事故の2度目の事故の意味を考えればむしろ当然の帰結です。
なぜなら、 この2度目の事故とは、平時であれば法治国家として決してできないことを、事故時という緊急事態の中で、超法治国家としてどさくさ紛れにやってのけたアクロバットであり、原発事故がもたらした政治経済体制の危機を前にして法的なクーデタというルビコン川を渡った時だからです。

具体的には、
第1に、原発事故から1ヶ月余りが経過した4月19日文科省は福島県の学校の放射能安全基準を20倍に引き上げる通知を出しましたその通知の冒頭で明らかにした通り、文科省の安全基準変更の根拠は、国際放射線防護委員会(ICRP)(※1)の2007年勧告に基づくものです。

 しかし、もともと国際放射線防護委員会(ICRP)は国連の公的な機関ではなく、民間の一団体にとどまります。そうした民間団体の勧告が日本国内で正式に取り入られるためには、行政機関で取り入れるかどうかの審議を経て正式な決定を経て初めて取入れることが決まります。ところで、ICRPの勧告は1990年に公表された勧告が1998年に放射線審議会での審議の末、正式な決定を経て、日本国内に取り入れましたが、しかし、文科省が今回の通知で根拠にしている2007年に公表された勧告は、2011年4月時点で(現在も同様ですが)、日本国内に取り入れるかどうか審議している最中で、まだ正式な決定に至っていません。従って、このような勧告を国内の法秩序として盛り込むことは法治国家としては許されません。

 しかも、文科省はICRPの2007年勧告に基づいて通知を出したと言いながら、2007年勧告の重要な内容となっている「防護の最適化の原則」(※2)と「正当化の原則」(※3)は今回の通知にあたって無視されています。つまり、文科省にとって都合のいいところだけツマミ食いしているのです。こうしたご都合主義でツマミ食いすることは法治国家として許されることではありません(以上の詳細は
子ども脱被ばく裁判の原告準備書面29参照)。

に、文科省の今回の通知は「安全基準値の引き上げに関する大原則」にも違反します。安全基準値の引き上げに関する大原則とは、
 「危機管理の基本とは、危機になったときに安全基準を変えてはいけないということです。安全基準を変えていいのは、安全性に関する重大な知見があったときだけ」である(昨年11月25日「第4回低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」での児玉龍彦氏の発言〔21分~〕)
 つまり、
基本原則1: 危機になったときに安全基準を変えてはいけない。
基本原則2:安全基準値の変更が許されるのは、「安全性に関する重大な知見があったときだけ」「安全についての新しい知見が生まれた」(甲120号証。児玉龍彦VS金子勝「放射能から子どもの未来を守る」157頁)ときだけ。

これは、今まで法学者は取り上げてこなかったものですが、人々の命と健康を守るための人権上の大原則を意味します。
  

しかし、文科省の今回の通知は、安全性に関する重大な知見があった」訳ではないことが通知を読めば明らかです。
従って、この点からも文科省の今回の通知は、人権の大原則を踏みにじった重大な人権侵害行為です。
戦後民主主義国家・法治国家の一員として歩んできた文科省がこんなアクロバットのような通知を出したことは一度もなかったと思います。
もし裸の王様をわらう子どもが文科省の今回の通知を見たら、この子はどう言うでしょうきっと、--それは空中四回宙帰りのアクロバットだ。正真正銘の法的なクーデタと呼ばなければ、どう呼んだらいいの」と言うのではないでしょうか。

そして、この311直後の法的クーデタが、その後に、秘密保護法、戦争法、共謀罪‥‥と次から次へと出現する法的なクーデタのパレードの「源泉」となっています。一度、ルビコン川を渡り、法治国家としてタガが外れてしまった日本政府は、半ば焼けクソで放置国家として邁進中で、容易にあと戻りしないからです。
その結果、非人間的な扱いを受け、いわれのない苦しみの中に置かれて来た最大の被害者は、言うまでもなく、自主避難したか、しないでとどまったかを問わず、汚染地の子どもたちと住民です。
 この事態に対し、私たちは何が必要なのでしょうか。それは至って単純なことです。
311以後、事実の闇と法の闇に覆われた日本社会に再び真実と正義を回復し、光を取り戻すことです。
そのためには、311以後の法の闇の諸悪の「根源」に立ち戻り、この根源を断ち切ることが必要です。そして、その1つがチェルノブイリ法日本版という人権法の制定です。


1国際放射線防護委員会(ICRP)がやってきたことを知るには、以下が有益
中川保雄著『放射線被曝の歴史』→その目次と「序にかえて」

※2)防護の最適化の原則とは、

《被ばくする可能性,被ばくする人の数,及びその人たちの個人線量の大きさは,すべて,経済的及び社会的な要因を考慮して,合理的に達成できる限り低く保たれるべきである。この原則は,防護のレベルは一般的な事情の下において最善であるべきであり,害を上回る便益の幅を最大にすべきである,ということを意味している。」と説明し、その重要性を強調している》(2007年勧告(203))

※3)正当化の原則とは、
《放射線被ばくの状況を変化させるいかなる決定も、害より便益を大きくすべきである。この原則は、新たな放射線源を導入することにより、現存被ばくを減じる、あるいは潜在被ばくのリスクを減じることによって、それがもたらす損害を相殺するのに十分な個人的あるいは社会的便益を達成すべきである、ということを意味している。》(2007年勧告50頁(203))

なぜ今、チェルノブイリ法日本版条例の制定なのか--チェルノブイリ法日本版その可能性の中心--(7)原発事故の1度目の事故の意味(福島)

311のあと起きた事態に対し私が思ったことは、被害者が加害者扱いされ、 加害者が支援者面をし、全てのあべこべの混乱の極みの中にある、と。この事態の本質をどう理解したらよいのか、これまでの体験からは言葉が見つからず、思案していました。

約半年後、 作家の大岡昇平の次の言葉が私を捉えました。


ひとりひとりの兵士から見ると、戦争がどんなものであるか、分からない。単に、お前はあっちに行け、あの山を取れとしか言われないから。だから、自分がどういうことになって、戦わされているのか、分からない。 それで、戦争とはこういうもので、あなたはここに出動を命じられ、それで死んだんだということを、なぜ彼等は死ななければならなかったのか、その訳を明らかにしようとしたのです。
(太平洋戦争の天王山と言われたフィリピンのレイテ島の激戦「レイテ戦記」を書いたあとのNHKインタビュー


これは311後自分たちとピッタリ同じではないか、と。


3.11のあと、ひとりひとりの市民から見ると、福島原発事故がどのようなものであるか、どうしたらよいのか、真実は分からない。「健康に直ちに影響はない」「国の定めた基準値以下だから心配ない」とかしか言われないのだから。だから、一体自分がどういう危険な状態にあるのか、どう対策を取ったらよいのか、本当のことは分からない。



こから、こう考えました--だとしたら、ひとりひとりの市民にとって必要なことは、「レイテ戦記」のように、福島原発事故とはこのようなもので、このような危険な事態が発生していて、それに対して必要な措置を取らずにいると、言われるままにいると、ひとりひとりの市民には、今後、大変な健康障害が発生することを明らかにし、それゆえ、取り返しのつかない事態になる前に今すぐ必要な救済措置を取ることであること明らかにするため、「ふくしま集団疎開裁判」の中で放射能に対する感受性の高い子どもに焦点を当て、この真実と正義を明らかにし、救済を目指してきしました。

この意味で、原発事故は「戦争」に酷似している、ただし、これは通常の戦争のように攻撃が目に見えて、直ちに即死する訳ではない。痛くも痒くもなく、目に見えない放射線による攻撃という「新しい形式の戦争」です。
しかし、
ひとりひとりの市民から見ると、原発事故がどのようなものであるか、どうしたらよいのか、真実は分からないという点では、ひとりひとりの兵士から見ると、戦争がどのようなものであるか、どうしたらよいのか、真実は分からない戦争と共通です。
好むと好まざるに関わらず、私たちは今、「新しい形式の戦争」の中に置かれているのです。

なぜ今、チェルノブイリ法日本版条例の制定なのか--チェルノブイリ法日本版その可能性の中心--(6)原発事故の1度目の事故の意味(チェルノブイリ)

「原発事故は新しい形式の戦争です」。

こう強調したのはノーベル賞作家スベトラーナ・アレクシエービッチさんです。彼女は「チェルノブイリの祈り」とNHK番組でこう語りました。

チェルノブイリ事故は大惨事以上のものです。よく知られた大惨事とチェルノブイリとを同列に置こうとしても、それではチェルノブイリの意味が分からなくなります。‥‥ここでは過去の経験はまったく役に立たない、チェルノブイリ以後、私たちが住んでいるのは別の世界です。前の世界はなくなりました。でも、人々はこのことを考えたがらない。(今まで)こんなことを一度も深く考えたことがないからです。不意打ちを食らったからです 

‥‥
何かが起きた。でも私たちはそのことを考える方法も、よく似た出来事も、体験も持たない。私たちの視力、聴力もそれについていけない。私たちの言葉(語彙)ですら役に立たない。私たちの内なる器官すべて、そのどれも不可能。チェルノブイリを理解するためには、人は自分自身の枠から出なくてはなりません。感覚の新しい歴史が始まったのです

(「チェルノブイリの祈り」31頁)。



学者や政治家 軍人は放心状態でしたが、

村の老人たちの世界観は崩れませんでした。

人々は哲学者になりました。

誰もが不可解な現実を前に一対一で向き合うしかなかったから。

私たちがこれまで経験してきた恐怖は戦争に関することばかり。
でも、ここでは木が青々と茂り、
鳥たちが飛び回っていました。

しかし死がそこにあることを人間は感じました。
目に見えない 音も聞こえない 新しい顔をした死。

私は思いました。
「これは戦争だ。未来の戦争はこんなふうに始まる。

でも これは前代未聞の新しい戦争だ」
》  
アレクシエービッチの旅路」から「前代未聞の新しい戦争について」


なぜ今、チェルノブイリ法日本版条例の制定なのか--チェルノブイリ法日本版その可能性の中心--(5)原発事故の2度目の事故

4、「人間と人間との関係」の中で発生した2度目の原発事故

 先ほど、「人間と自然との関係」の中で発生した1度目の事故が過酷であればあるほど、「人間と人間との関係」の中で発生する2度目の事故もまたし烈で過酷なものになると言いました。福島原発事故の1度目の事故は先ほど述べたように、チェルノブイリ事故に劣らず、過酷なもので、しかも今なお収束できずにいす。その結果、福島原発事故の2度目の事故も1度目の事故の過酷さに匹敵して、前例をみないほどし烈で過酷なものとなりました。


 つまり、2度目の事故とは要約すれば次の3つです――「情報を隠すこと」「事故を小さく見せること」「様々な基準値を上げること」。

 チェルノブイリ事故の2度目の事故は、
事故直後、ソ連政府は①高濃度汚染のベラルーシ・ゴメリの情報を報告書から消去(情報の隠蔽)、②.安定ヨウ素剤を配布せず、③.住民の被ばく基準を百倍に引き上げました(基準値の引き上げ)。

 これに対し、311直後、学習済みの日本政府はすみやかに①稼動中のSPEEDIの情報を公開せず、②.安定ヨウ素剤を配布せず(服用を止めさせ)、③福島県の学校の安全基準を20倍に引き上げました。その結果、「原発から二十キロ圏」内の避難区域の拡大防止が実現し、小児甲状腺がんの発症ゼロ(チェルノブイリ事故の時服用したポーランドの結果)と正反対の結果が実現し、
チェルノブイリ事故の時52万人余が学童疎開したキエフ市のリピート防止が実現しました。

 これらの2度目の事故は311直後に限りませんでした。福島県の学校の安全基準20倍引き上げに抗議して、福島の子どもたちを安全な場所に避難させ、教育をせよを求めた2011年6月の「ふくしま集団疎開裁判」の提訴も日本のマスコミに無視され、唯一、特集を組んで報道したTBSのNEWS23のキャスターはその後、降板となりました。この裁判に対し、福島地裁郡山支部は2011年12月、野田前首相の「収束宣言」と同日のほぼ同時刻頃、「100ミリシーベルトまでは避難の必要がない」という判決を下し、弁護団は次の抗議を表明しました。

《「子どもを粗末にするような国は滅びる、そのような国には未来はない」
これが真実であることの確認を求め、混乱と異常事態に陥っている国政の是正を「人権の最後の砦」を本来の任務とする裁判所に求めたのが疎開裁判です。
 しかし、本日、裁判所は自らその任務を放棄することを宣言しました。福島第一原発に劣らず、我が国の三権も首をそろえて混乱と異常事態に陥っていることを余すところなく証明しました。それが本日の決定の唯一の意義です。
 これに対しては、私たちは2世紀以上前のアメリカ独立革命の人権宣言の初心に返って、「子どもを粗末にするような国は廃炉にするしかない。未来は子どもを大切にする国作りの中にしかない」ことを宣言する。


政府は人民、国家または社会の利益、保護および安全のために樹立される。いかなる政府も、これらの目的に反するか、または不十分であると認められた場合には、社会の多数の者は、その政府を改良し、変改し、または廃止する権利、いわゆる革命権を有する。この権利は、疑う余地のない、人に譲ることのできない、また棄てることもできないものである。」(米国ヴァージニア憲法3条)》

 しかし、この抗議の記者会見を日本のマスコミは報道せず、そのため日本人は誰も知らず、ひとり韓国KBSが特集番組を組み、多くの韓国民は日本で悲劇の進行を知ったのです。それは、先頃、「福島の事故が、原発が安全でも安くもないことを明白に示している」と語り、脱原発宣言を行った韓国の文大統領にも「福島原発事故の真実」を語る情報の1つとして届いていると思います。

 その上、2017年3月、福島県民健康調査の甲状腺検査で二次検査(精密検査)を受けた結果、治療(手術等)が必要とされない者は「経過観察」とされる扱いだが、約2500人いる「経過観察」中の子に甲状腺がんと判明しても、県民健康調査のデータとして公表しなかった事実が判明しました(この問題を取り上げた子ども脱被ばく裁判の原告準備書面33参照)。しかし、6月に開催した福島県民健康調査の検討委員会でも、検討中として公表されないままです。

 このように、子どもたちを粗末にする政府は廃炉にするしかありません。

2017年6月26日月曜日

なぜ今、チェルノブイリ法日本版条例の制定なのか--チェルノブイリ法日本版その可能性の中心--(4)原発事故の1度目の事故(福島)

3、「人間と自然との関係」の中で発生した1度目の原発事故

(2)、福島第一原発における1度目の事故

 チェルノブイリ事故でヨーロッパ全滅の危機があったことが知らされていないように、福島原発事故でも、2011年3月14日、 2号機の危機により東日本は壊滅のおそれがあったことは十分知られていません。しかし、当時の福島第一原発の吉田所長は次の通り明確に証言しています。


私は本当にここだけは一番思い出したくないところです。・・・ここで本当に死んだど思ったんです。
2号機はこのまま水が入らないでメルトして、完全に格納容器の圧力をぶち破って燃料が全部出ていってしまい、そうすると、その分の放射能が全部外にまき散らされる。 最悪の事故ですから。チェルノブイリ級ではなくて、チャイナシンドロームではないですけれども、ああいう状況になってしまう。・・・放射性物質が全部出て、まき散らしてしまうわけですから、我々のイメ-ジは東日本壊滅ですよ。
」(吉田所長の証言(2011年8月9日)。)

しかし、その後、原因不明のまま、再び水が入り、チャイナシンドロームは回避されました。けれど、吉田所長はなぜ注水が再開したのか分からないと証言しています。ネステレンコと炭鉱夫たちの主体的な力でヨーロッパ壊滅を阻止したチェルノブイリとちがい、福島は偶然の力で、東日本壊滅が阻止されたのです。

    2011年3月14日 福島第一書籍原発3号機の爆発

 

なぜ今、チェルノブイリ法日本版条例の制定なのか--チェルノブイリ法日本版その可能性の中心--(3)原発事故の1度目の事故(チェルノブイリ)

3、「人間と自然との関係」の中で発生した1度目の原発事故

(1)、チェルノブイリ原発における1度目の事故
 今から31年前の1986年4月、旧ソ連、現在のウクライナとベラルーシの国境付近にあったチェルノブイリ原子力発電所で事故が発生しました。
映像作家チェルトコフチェルノブイリの犯罪によれば、この原発事故の1度目の事故は次のことを意味します。

・チェルノブイリ原発のうち一基で実施された40秒足らずの実験で、ヨーロッパ全土を人が住めない土地に帰するほどの大惨事になる可能性があったこと。
・その大惨事を防いだのは、
事故直後のチェルノブイリ上空をヘリで飛び、原子炉の土台の下に液体窒素を注入することで大惨事を防げると突き止めた1人の科学者(ヴァシーリ・ネステレンコ)と、


その科学者のプランを実行するために灼熱と高濃度の放射能地獄の現場に送られた何万人の炭鉱夫たち(リクビダートル〔後始末をする人という意味〕と呼ばれた)の尽力によるものだったこと。


http://www.belarusguide.com/chernobyl1/liquidators.htm

しかし、この「人間と自然との関係」の中で発生した過酷極まる1度目の事故のあと、直ちに、一層し烈、かつ過酷を極める2度目の事故が「人間と人間との関係」の中で発生します。

それが、 ソ連だけでなくヨーロッパ全土を救ったこの科学者に与えられた勲章は、それまでの所長の地位解任とKGBによる二度の暗殺計画でした。
ネステレンコは「パニックを煽るろくでなし」と警告されたにもかかわらず、放射能を感知する器官を持たない汚染地の住民たちが、ソ連政府の不作為により無防備なまま取り残されている事態に我慢ならず(※)、住民らの保護を訴え続けるのをやめなかったからです。

他方、原発事故から欧州大陸を救った何万人の炭鉱夫たちに与えられたのは、事故被害者の統計から除外され、「存在しないもの」として扱われることでした。
その結果、この抹殺政策の中で、彼らの若者の殆どが身障者となり、多くは30、40代で命を落としました。

なぜこのようなし烈かつ過酷な2番目の事故が発生したのでしょうか。
それは、チェルノブイリ原発事故で1番目の事故が発生した時、原発事故が次のように再定義されたからです。

IAEA事務局長ハンス・ブリックスは「チェルノブイリのような事故が毎年起こっても人類は大丈夫だ」と宣言した。(チェルトコチェルノブイリの犯罪(上巻)194頁ネステレンコの証言)

IAEAの事務局長ブリックスは「原子力産業はチェルノブイリ級の事故に毎年でも耐えられる」と断言した。「真実はどこに?」でアレクセイ・V・ヤブロコフの証言)

これはジョークではありません。国際原子力ロビーの人たちは、原発事故で1番目の事故発生が避けられないことを大真面目に検討し、原発事故が発生することを前提にして、そのあとに続く2番目の事故のためのシナリオを用意周到に練り上げたのです--チェルノブイリ級の事故に毎年起こっても大丈夫と思わせるほど「事故を小さく見せる」シナリオ、すなわち「無知の戦略」と言われるものです。
そして、直ちにチェルノブイリに適用しました。その一例がネステレンコと何万人の炭鉱夫たちに与えられた以上の処遇でした。
チェルノブイリ事故をつぶさに観察した映像作家チェルトコフは、この2番目の事故を「チェルノブイリの犯罪」と呼びました。
その後、この2番目の事故は一層磨き上げられました。そして、福島でも適用されたのです。

(※)《 私の人生をほんとうに変えてしまったのは、子どもたちの被ばくという衝撃的事実でした。‥‥
(子どもたちがたいへんな目に遭っている現場を目撃し)このとき、私は思ったのです。原子力というテクノロジーは何十万人もの人間をこれほどまでに不幸な目に遭わせるものならば、それはこの世に存在する権利を持たない、と》(チェルトコフチェルノブイリの犯罪上巻)191~193頁ネステレンコの証言)

なぜ今、チェルノブイリ法日本版条例の制定なのか--チェルノブイリ法日本版その可能性の中心--(2)原発事故は2度発生する

2、原発事故は2度発生する

 私たちが科学技術によって引き起こされた事故・災害を眺める時に注意すべきことは、事故(災害)は2度発生するということです、

 1度目は「人間と自然との関係」の中で、見込み違いや偶然の要素によって発生し、2度目は「人間と人間との関係」の中、で社会との交渉の段階での世論操作において確固たる必然の要素によって発生します。
 水俣病やイタイイタイ病がその典型です。
①.水俣病が正式に発見れた昭和31年5月以来、熊本大学医学部はその原因解明に尽力し、昭和34年11月12日、
熊本大学医学部が中心の水俣病食中毒部会の答申をもとに、厚生省食品衛生調査会常任委員会は、水俣病の主因はある種の有機水銀であるという答申を出し、今後は、チッソ工場排水に有機水銀が存在するかどうか((チッソの妨害で工場の排水の採取すらできなかったので)引き続き研究する予定でしたが、翌13日、厚生大臣は水俣病食中毒部会の解散を命じました。これに対し、熊本大学長と同医学部長は、「研究の重大段階で解散させられたのはまことに遺憾」と記者会見で抗議しました(→年表資料参照)。
 この当時、通産省の幹部は「排水は止めるべきではないかという担当者に対し、《何言っているんだ。今止めてみろ。チッソがこれだけの産業がとまったら日本の高度成長はありえない。ストップなんでことにならんようにせい》と厳しく叱られた(→資料参照)。
 その結果、 水俣病の原因がチッソ工場の排水の有機水銀であると政府が認めたのは昭和43年9月、この隠蔽劇から9年も経過していました。これが「人間と人間との関係」の中で発生する2度目の災害です(以上について、原田正純水俣病」(岩波新書)参照)。

②.イタイイタイ病でも、昭和38年に厚生省と文部省がお金を出し、金沢大学に合同研究班を設置し、イタイイタイ病解明に乗り出しましたが、研究の方向が当初、目論んでいた栄養不良説からカドニウム説の方向に進んだため、合同研究班を解散しました。
 地元富山県は終始イタイイタイ病救済に後ろ向きで、地元婦中町が被害住民団体への財政的支援を打ち出した際、これを「違法な支出である」と横やりを入れ,環境庁がイタイイタイ病の原因をカドミウムであると発表した後もなお「原因は不明」という立場をとりました。
 他方、 イタイイタイ病の原因について、昭和36年にカドミウム原因説」を唱えた萩野昇医師に対しては、「田舎医者に何が分かる」「売名のためのPRだ」と罵声が浴びせられ、地元からも「嫁のきてが無くなる」「米が売れなくなる」と白眼視され、「萩野は砂利トラックにはねられて死ぬだろう」との風評が飛びかったと言われています。
 ようやく、厚生省がイタイイタイ病の原因をカドミウム原因説」と認めたのはそれから7年後の昭和43年でした。「人間と人間との関係」の中での妨害が発生しなければ、イタイイタイ病原因解明はもっとスムーズにった筈です。

 しかし、この
「人間と人間との関係」の中で発生する2度目の事故(災害)はこの2つに限りません。社会的影響が大きな巨大事故・災害であればあるほどそれが2度発生するのは必至です。
 そして、 「人間と自然との関係」の中で発生した1度目の事故が過酷であればあるほど、「人間と人間との関係」の中で発生する2度目の事故もまたし烈で過酷なものになります。
 チェルノブイリ事故がそうでした。福島原発事故も同様です。殆どの人は日本政府がこれほどまでにチェルノブイリ事故の1度目と2度目の事故の過酷さから用意周到かつ徹底して学んでいるとは知りませんでした。それほど、福島原発事故も1度目の事故は過酷でありその過酷さにふさわしく、2度目の事故は用意周到に発生したのです。

 ところが、私たちはまだチェルノブイリ事故も福島原発事故も1度目の事故がどんなに過酷なものであるのか、その全貌はもちろんのこと、その片鱗すら知らずにいます。そのため、2度目の事故のし烈さ、過酷さもその全貌はもちろんのこと、その片鱗すら殆ど理解していません。

 私たちは、これを知る必要があります。なぜなら、それによって、初めて、311後に、多くの被害者がどれほど非人間的な扱いを受け、いわれのない苦しみの中に置かれて来たかが、そして、今日、苦しめられている人々の姿は来るべき原発事故で被害者となる私たちそのものの姿であることが理解できるようになるからで、このような異常な事態は何としてでも是正しなければならないと固く決意するようになるからです。
 

2017年6月25日日曜日

なぜ今、チェルノブイリ法日本版条例の制定なのか--チェルノブイリ法日本版その可能性の中心--(1)はじめに(自己紹介)

以下は、2016年12月4日、宝塚市で喋った話にもとに書きしたものです。


1、はじめに(自己紹介)
 

私は3.11まで原発や放射能に無知でした。しかし、3.11以後、福島の子どもたちの避難を求めるふくしま集団疎開裁判に代理人として参加しました。

私はもともと悪友どもにだまされて、この道(法曹界)に入った人間です。だから法曹界に入ったあと、仕事が嫌で、毎日、三四郎池に寝そべっていました。その転機となったのがチェルノブイリ事故の前年1985年、NHK大河ドラマの著作権裁判に関わったことで、以来、小説や映画など著作権を専門とする弁護士になりました。しかし、40歳の時、仕事に対する不平不満抑え難く、事務所を店じまいし、大学に出没する数学のニセ学生になりました。その後、人生の折り返し点の50歳の時、ジェレミー・リフキンの「バイテク・センチュリー」を読み、後半生の方向が決まりました。この時、自分は医者になろう、というより、「遺伝子工学」「リスク評価学」「予測生態学」をマスターしたいと思ったのです。
 バイオテクノロジーは、人類のこれまでの科学の成果の総結晶=総決算として登場する。つまり、工業社会の屋台骨だった物理・化学、現代社会の基礎となる情報科学・コンピュータ・医学・農学などこれまでの全ての分野の成果の上に花開いた。それは、人類史上前例のない――原子爆弾・放射能災害を唯一の例外として――空前絶後の力業である。それゆえ、この空前絶後の力業はこれまでの科学の成果の総決算であるのみならず、他方で、これまでの科学が直面した課題・矛盾もすべて、バイオテクノロジーの世界で総決算として最もリアルに再登場するはずです。過去、ヒロシマ、ナガサキ、ミナマタといった工業社会、科学技術がもたらした悲惨極まりない体験が、バイオテクノロジーの世界でより徹底した形で反復することになるだろう――私たちはその悲惨な体験の反復を食い止めるために何が必要だろうか?何が可能だろうか?これが私の前に現れた課題だった。
 もうひとつ。
 社会に新しいテクノロジーを根づかせ、発展させていくとき、推進者たちは、そのために、単にその技術が優秀であるだけでなく、それ以外にも政治、経済、マスコミ、文化、教育、哲学など様々な分野でそれを支持し、サポートする全般的な動き、というより運動が企てられる(或る意味で、それはマインド・コントロールである)。もっか売り出し中のバイオテクノロジーは、こうした運動の生成過程をつぶさに観察するに打ってつけの対象である。その観察から、我々が既にどっぷり漬かってしまい、マインド・コントロールすら自覚しなくなってしまった工業社会のテクノロジーを支えてきた様々な「コモン・センス」と称する世界観、思想、哲学の正体を吟味する道が開けてくる筈である。
 それは、現代の環境問題、消費者問題、人権問題の本質を考え抜く上で不可欠の作業だと思った。

 ただし、このとき、私はもう1つの「人類史上前例のない荒業」の放射能災害について、既に市民運動の力でそれは防止され、基本的に解決済みだ、だから自分はバイオ災害の問題に専念すればよいと、うかつにも考え、2005年、新潟県上越市で実施された日本初の遺伝子組換えイネ野外実験の中止を求める裁判(禁断の科学裁判)に代理人として専念しました。

 しかし、311でこれが何の根拠もない浅知恵であったことが証明され、原発事故は何一つ片付いていなかったことを己の無知と共に思い知らされました。

 同時に、この遺伝子組換えイネ野外実験の中止を求める市民に対して、実験実施者たちが口にした決まり文句「万が一の対応」「念のための措置」「直ちに影響ない」の3点セットが、311後の日本政府や東電によりくり返されるのを目の当たりにした時、遺伝子組換えイネ野外実験中止を求める裁判の中で嫌というほど体験した、実験実施者たちの反吐が出るくらいの傲慢不遜さと品性のなさがまざまざと思い出されました()。
この人たちの反吐が出る傲慢不遜さと品性のなさは、彼らが「思考することを放棄し」、その結果「善悪を区別するモラル完全な崩壊した」ことに由来するものですかつてと同様の事態が311後に進行していったの目の当たりにした--これは取り返しのつかない大変なことになると戦慄が走りました。

 私が、3.11以後、福島の子どもたちの避難を求めるふくしま集団疎開裁判に参加したのは以上の体験に基づくものです。

その実例をあげます。
1、野外実験を実施した被告の研究所は、実験の説明会やHPや広報誌では「適切な情報公開・提供に努めます」をくり返していたのに、いざ裁判が始まると、野外実験の安全性の解明する説明・情報提供は全くなく、彼らの答弁書は次の言葉で締めくくられていました。

本申立は、本実験を批判し、批判を喧伝する手段の一つとして行われたとしか考えられず、手続を維持するだけの法律上の根拠は全く認めることができない。いずれにせよ、本申立においては、そもそも一般的な高等教育機関で教授ないし研究されている遺伝子科学の理論に基づいた主張を展開しているものではなく、遺伝子科学に関し聞きかじりをした程度の知識を前提に特定の指向をもった偏頗な主張を抽象的に述べているに過ぎず、また法的に考察しても非法律的な主観的不安を書きつらねただけのものとしか評価しようがなく、債務者としてはかような仮処分が申し立てられたこと自体に困惑するばかりである。》(答弁書十九頁)
 

  2、他方で、彼らが唯一、積極的に準備したのは、全国の大学・研究所の遺伝組換え技術の研究者たち130名余りが作成した「原告の申立の却下を求める要請書」でした(→その実例)。
しかも、この要請書は誰かが用意した定型文に研究者たちが署名しただけのもので、なかには誤字が訂正されていないものもあって、被告が全国の研究者にいっせいに要請して、1~2日でかき集めたのが明白でした(→その一覧の証拠説明書)。つまり、実験の安全性について、万人が理解でき合点がいく説明をするのではなくて、専門家がみんな「実験は心配ない」と言っているのだからくべこべ言わずに信用しろという権威主義を振りかざすものでした。

3、仮処分の一審裁判所の判決が、被告に厳格な情報開示の義務と説明責任を実行することを条件に実験の実施を認めたのを受け、原告住民が耐性菌問題等に関して情報公開の請求をしたのに対し、被告は、
ディフェンシン耐性菌の発生については、今回の実験の目的ではなく、調査する予定はない。
と回答し、裁判所の判決にも背いて固く口を閉ざしました。その上、その回答書に、「図を送れ」などを記した彼らの手控えメモを間違って原告に送って来て(→その回答書面)、その不誠実といい加減さを如実に公開しました。

2017年6月21日水曜日

追悼生井兵治:生井は生きている(2017.6.21)


                          (2015.5.23新宿デモ)

柳原敏夫

 生井さんとは個人的に親しかった訳ではない。なのに、彼の逝去を知った以降も、彼が死んだとはどうしても思えず、私の中で彼はずっと生きている。それはなぜなのか、その訳を考え続けている。

 福島原発事故は、自分がたとえ千年長生きしたとしても経験できないような、それ以前と隔絶する体験だった。99%の人と関係が切れてしまった。その時、伴走していたのは生井さんだった。彼は2011年6月、ふくしま集団疎開裁判の提訴のとき、自分から進んで郡山まで来て提訴に立ち会った。疎開裁判で専門家の証言が必要で途方に暮れているとき、沢田昭二さん、矢ヶ崎克馬さんを紹介したのも彼だった。マスコミから無視され続けた疎開裁判がブックレットで広報活動の必要性を痛感していたとき、本の泉社を紹介し、社長に引き合わせてくれたのも彼だった。私らが新宿で子どもたちの避難を訴えるデモをやったときも、真っ先に駆けつけてスピーチしたのも彼だった。松本市のNPOまつもと子ども留学基金の正会員に申し込んで来たのも彼だった。一体こんな科学者がいるだろうか。

 けれど、生井さんは最初からそうだった訳ではない。彼を初めて知ったのは2005年、新潟県上越市で、全国で初めての遺伝子組換えイネの野外実験が地元市民の猛反対を押し切って強行され、地元市民が野外実験中止の裁判に訴え、私も代理人になった時だった。私がこの裁判を鮮明に覚えているのは、私自身、それまでの著作権専門のブルジョア弁護士から国に真っ向から異議申立を唱えるならず者弁護士に舵を切ったからである。
 
 実は生井さんも似たところがあった。この裁判で「イネの花粉の飛ぶ距離」が争いとなり専門家の書面が必要となった時、弁護団長神山美智子さんが生井さんを紹介してくれた。彼は依頼に応じたもののどこか迷惑風で、腰が引けていた。しかし、市民運動が初めての私は無知の強みで彼にズケズケ協力を迫ったせいか、或るとき本音が語られた――《書面だとしても農水省と直接対決的な状況には、まだなりたくありません。相手方に学会等を通じてあまりにも旧知の人が多すぎます。私は、早くから市民団体の要請で、いろいろ書いたりしゃべったりしておりますので、農水省からはすでに「要注意人物」と見られており、上司から「先生のためにならないからに忠告したら」と言われた弟子もおります。そう見られても痛くも痒くもありませんので書いたりしゃべったりは増える一方ですが、まだ見え隠れしながらのほうがお役に立てるのではないかというのが偽らざる心境です。・・・時間が無いことは分かりますが、そして私をご指名して下さったことにはそれなりに嬉しく存じますが、当方の状況もお察しください。》

このメールを読み、なんて正直な人なんだろうと思った。研究者としてのキャリア・人間関係と市民運動とのはざまに立つデリケートな状況に全く無知だった私は謝罪し、次の返信を書いた。
《もともとこの裁判は、三無主義(無遠慮、無分別、無謀)で始めたようなものですので、ご心配ありません。私も、これから、人生の後半生の50年かけて取り組んでいく積りなので、今回の裁判だけで右往左往する気はありません。・・・これからも、可能な範囲で、引き続き、よろしくお願い申し上げます。》

 しかし、事実は小説より奇なりで、このあと、生井さんはあれほどためらった陳述書を自ら書くと名乗り出たのである。それは、野外実験の危険性を訴え、実験の中止を求める私たちの懸命の声に対し、裁判所が聞く耳を持たず、訴え却下の判断を下したからだった。判決で引用された国側の専門家証言のでたらめぶりに彼の良心はどうしても我慢ならず、研究者としてのキャリア・人間関係と市民運動とのはざまに立っていた彼はルビコン川を渡ったのである。生井兵治67歳。

 そのあとの彼は、遺伝子組換えイネ裁判の最大の協力者のひとりとしていつも私たちと共にいた。国側の主張書面に対する反論の準備の中で、「集中度が高まると時間は延びるのだ」を信念にして、〆切前夜の土壇場で最も本領を出す私の悪弊を(ほかの人たちはウンザリしていたのに)嫌がらずに、最後まで付き合ってくれたのも生井さんだった。分からないことがあるといつも彼に電話をした。決まって電話口に出るのは奥さんで、「はい、はい。・・・お父さん、柳原さんだよ~」と呼ぶ声がして、しばらくして「はい、はい、お待たせしました」と生井さんの声がした。

 科学技術の発展の末に、公害・薬害が発生し、原発事故が発生し、バイオ事故が発生し、その結果、最大の被害者は科学者ではなく、いつも普通の市民だ。生井さんは、この科学技術の正体を、この被害の真実を目の当たりにしたとき、彼はそれまで築き上げてきた研究者としてのキャリア・人間関係はどうでもよいと思って、ルビコン川を渡った。しかし、このとき彼は研究者としてのキャリアを本当に活かす生き方を選択したのだ。このとき、生井は不滅の人になった。このとき以来、私の生井は生きている。