2014年5月5日月曜日

3.11のあとに出現した新人類(2014.5.3)

近頃、獨協大学で、福島原発事故から子どもを守る市民型公共事業について、単発の講義する機会を与えれました。
ろくに準備する余裕もない、付け焼き場の話でしたが、驚いたことに、講義を聴いた学生の殆どが感想を書いてくれたことでした。大学から送られてきた350通の感想文を手にして、「涙をこらえながら聞いていました」といった感想から、原発事故が大人だけではなく、一見黙っている多くの若者をいかに震撼する未曽有の出来事であったかを思い知らされました。

当日は時間切れのため、講義の後半を省略したので、ここにその概要を記します。講義を聴いた人で関心のある方は読んでください。

講義のテーマは、福島原発事故という現実と向かい合うとはどういうことか。何をすればよいか。

1、最初に必要な認識は「 福島原発事故は2度発生する」こと。
1度目は「人間と自然との関係」の中で、2度目は「人間と人間との関係」の中で(※)。

 (※)科学技術(テクノロジー)の問題を、すべて自然科学の中で、つまり自然と人間の関係の中で解決できる、それさえうまくできれば、それで全部、結果オーライだと考える傾向があります(もちろん、それで解決できる問題もあります)。しかしそれは、科学技術の問題を、もっぱら自然と人間の関係でしか見ない発想であって、そこには人間と人間の関係の問題が抜けている。現実に、科学技術(テクノロジー)を左右し、それを押し進めたり止めたりする力が必ず作用していて、それが人間と人間の関係の力です。たとえば国家の力とか、経済の力とか。市民の力とか。そういう人間と人間の関係の中での力が、最終的に科学技術(テクノロジー)の方向が決まるので、そこを無視しては環境問題やテクノロジーの問題、安全の問題は解決できない。
だから、科学技術の災害についても、人間対自然という関係だけではなくて、人間対人間の関係を絶えず念頭に置かなければならないし、むしろ人間対人間の関係のほうが、
根本である。(柄谷行人「世界史の構造」31~32頁。305~306頁参照)
 

2、次に、これを認識する視点:2つの「視差」の中で考える(※)。 
 ①.世界からみた福島原発事故  ②.世界史から福島原発事故
(※)カント「視霊者の夢」から。
「さきに、私は一般的人間悟性を単に私の悟性の立場から考察した、今私は自分を自分のではない外的な理性の位置において、自分の判断をその最もひそかな動機もろとも、他人の視点から考察する。
両者の考察の比較は確かに強い視差を生じはするが、それは光学的欺瞞を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真の位置におくための、唯一の手段である。」

3、 世界からみた福島原発事故
①.菅谷明松本市長のメッセージ
 なぜ、彼は今頃、こんなメッセージを表明したのか?


 

②.外国人からの声
4人の代表的な声 なぜ、彼らはそのような声を発したのか? 

キャサリン・ハムネット



            
スイス・ジュネーブ市長レミー・パガーニ


           
ノーム・チョムスキー



小出裕章さん(非日本的日本人)

日本には、普通の人に1年間に1ミリシーベルト以上の被曝をさせてはいけないという法律がありました。また、1平方メートル当たり4万ベクレルを超えて汚染しているものはどんなものでも放射線管理区域の外に持ち出してはならないという法律もありました。しかし、福島第一原子力発電所の事故で、東北地方、関東地方の広大な地域でこの法律を守れない汚染が生じました。
 日本が法治国家だというのであれば、国家がそこに住む住民たちをコミュニティーごと逃がす責任があります。しかし、この事故を引き起こした犯罪者と呼ぶべき日本政府は、今は緊急時だとして、彼ら自身が決めた法律を反故にし、汚染地に人々を棄てました。そこでは、棄てられてしまった人々が子どもも含め、生活することを余儀なくされてしまっています。
 私は、日本に住む大人には、原子力を許し、福島原発事故を許してしまったことに何がしかの責任があると思います。しかし、子どもたちには責任がありません。そして、子どもたちは被曝に敏感です。子どもは泥んこになって遊ぶものです。雑草にだって触れるものです。子どもが子どもらしく遊ぶことのできる環境を保証することは本当なら国家の責任です。しかしでたらめな国家が子どもたちを被曝させ続けており、少しでも子どもたちの被曝を減らすことは、大人たちの最低限の責任だと私は思います。
 これまでにもたくさんの方々が、子どもたちを一時的にも汚染地から遠ざける活動を担ってきてくれました。今回、松本避難プロジェクも始まるとのことで、ありがたく思います。
  
                          2013/8/14  小出 裕章    」
       

③.ふくしま集団疎開裁判を報道するニュース
   日本のテレビは1回だけ(2011年6月24日、TBS)。 



④.福島の現実(12年10月のジュネーブ国連でのスピーチから)

  日本政府の三大政策「情報を隠すこと」「事故を小さく見せること」「様々な基準値を上げること」

           チェルノブイリ事故から徹底して学んでいること。

           キエフの学童疎開

  健康被害の実態

  映画『シンドラーのリスト』を作ったあとのスピルバーグの発言「ホロコーストで起きていたことは、当時、チャーチルもルーズベルトも知っていた」。


⑤.2013年4月24日の仙台高裁の決定(判決)
 いっせいに、(日本をのぞく)世界主要メディアが報道->レポート

⑥.「まつもと子ども留学」プロジェクトのスタート

4、世界史からみた福島原発事故
   百年前に発生した第一次世界大戦との類似性と真の新人類の誕生

①.大岡昇平の指摘

ひとりひとりの兵士から見ると、戦争がどんなものであるか、分からない。単に、お前はあっちに行け、あの山を取れとしか言われないから。だから、自分がどういうことになって、戦わされているのか、分からない。
それで、戦争とはこういうもので、あなたはここに出動を命じられ、それで死んだんだということを、なぜ彼等は死ななければならなかったのか、その訳を明らかにしようとしたのです。(「レイテ戦記」執筆後のNHKのインタビュー)
  
3.11のあと、ひとりひとりの市民から見ると、福島原発事故がどのようなものであるか、どうしたらよいのか、真実は分からない。「健康に直ちに影響はない」「国 の定めた基準値以下だから心配ない」とかしか言われないのだから。だから、一体自分がどういう危険な状態にあるのか、どう対策を取ったらよいのか、本当の ことは分からない。

 それで、ひとりひとりの市民にとって必要なことは、「レイテ戦記」のように、福島原発事故とはこのようなもので、このような危険な事態が発生していて、それ に対して必要な措置を取らずにいると、言われるままにいると、ひとりひとりの市民には、今後、大変な健康障害が発生することを明らかにすることです。「ふ くしま集団疎開裁判」もまた、放射能に対する感受性の高い子どもに焦点を当てて、この真実を明らかにしようと
                                                          ②.正体が明るみにされた人々の共通性
 第一次世界大戦が勃発したとき、それまで弱者保護、人権擁護、社会主義的な主張を唱えていた多くの政党、団体が一転して《祖国防衛》に回り(その本音は自己の《組織防衛》)、人々を戦場に閉じ込め、死に追いやるという《隔離政策》=戦争推進政策に追随。

本質的にはこれと似た事態が3.11以後、日本にも生じたのではないか。3.11以降、なぜ、山本太郎といった無名の人たちが子どもたちを守るために献身的な働きをしたのか。それは、3.11以前に、子どもの権利を擁護すると称していた様々な人権団体、人々が、受身に回り、殆どまともな救援活動をしなかったために、山本太郎といった無名の人たちが目立つほかなかった。山本太郎がすごいと感心するよりも、従来の人権擁護を自称する人たちのひどさに目を向けるべき。

③.事実経過の共通性

   
「世の中には五十年、百年経ってみて初めてその意味が分かるようになる出来事がある。今から約百年前に発生した「人間と人間の関係」の人災=第一次世界大戦がそうである。
当初、人々はこの戦争は短期間で終結する、半年後のクリスマスまでには家族と再会できると楽観して出征した。しかし、現実の進行は当初の予想を裏切り、過酷な大量殺戮兵器の出現、未曾有の死傷者・被害・惨禍をもたらした。しかもこの人災が収束したのは4年後(それはつかの間の休戦にすぎなかった)ではなく、31年後であったことを人々は後に思い知ることになる。人災=世界大戦の収束をもたらしたのはヒロシマ・ナガサキに投下された原爆であった。この時、人々は初めて世界大戦は核戦争による人類の絶滅で収束するという過酷な事実を思い切り頭に叩き込まれたのである。  
 今年3.11に発生した「人間と自然の関係」の人災=福島第一原発事故はそれに匹敵する出来事である。当初、人々はこの事故は短期間で収束する、遅くとも年内には自宅に戻れると楽観していたが、天下の政府と東電が核燃料棒の崩壊熱に翻弄され続ける姿を目の当たりにして、その見通しは崩壊した。しかし、現実の放射能汚染がどこまで進行するのか、「見えない、臭わない、味もしない、理想的な毒」(スターングラス博士)である放射能は黙して語らない。福島にも例年通り、草木は芽吹き、春は訪れたが、しかしそれはそれまでの春と断絶した「沈黙の春」だった。では、我々は、いつ、この人災が収束するのを見届けることができるのだろうか。そして、その収束をもたらすものは何だろうか。工程表の実行?そんなものはつかの間の処理にすぎず、現実に進行中の大気・土壌・海中への放射能汚染対策は指一本触れられていない。世界大戦の収束をもたらしたものが「核戦争による人類の絶滅」という過酷な事実だったように、それは何年か後、何十年か後の、人々の頭に原発事故は放射能汚染による地球の絶滅で収束するという過酷な事実が思い切り叩き込まれたときである」(
安全性評価(リスク評価)の亀裂・崩壊をもたらした福島原発事故」の冒頭から)

④.新しい人々の出現
未曽有の出来事はまた、無名の人々の中から新しい人間を出現させた。
以下は、原発事故がなかったなら、出会わなかったような人々--過酷な現実を最後まで行き抜くことができる希望の人々。


(1)、陳述書「 どんな犠牲を払って自主避難したのか(1)


(2)、
陳述書「郡山市から東京、川崎市に自主避難した母子と子どもの健康被害について

(3)、
陳述書「どんな犠牲を払って自主避難したのか(2)

(4).「3.29 シリーズ 子どもと大人のための学習会」の参加者からのメール(1)

Subject: 本日福島テルサにてお会いしました○○です。

本日福島テルサにて声を掛けさせていただいた○○と申します。本日は大変お疲れ様でした。ありがとうございました。
こども福島のMLから集団疎開裁判の件は知っていました。脱原発の前に、まず福島の子供達に必要なのは今すぐ脱被爆です。本来なら国が率先して行わなければならないことを、このような形でこちら側からアクションを起こさねば動かせないこの世の中に、本当に失望します。しかし子供達にとって、福島の人間にとって、柳原先生のような大人達がいらっしゃること、心より救われる思いです。本当に、本当に、福島の子供達のためにありがとうございます。
裁判官も人間です、と、京都でお世話になっている弁護士の先生がおっしゃっていました。そう信じて、この裁判も必ずや勝ち取れると思っております。

私は当時妊娠中でした。震災後出産してすぐに、上の2歳の子と赤子の3人で知り合いすらいない京都へと母子避難しました。それから1年経ち、主人が仕事を辞め新築の家を売り、京都へと越してきてくれました。私達はあの日からまるで戦時中のような毎日を過ごしておりますが、福島を出るも出ないも地獄なのです。しかし何よりも、福島の子供達をお守りください。彼らは何一つ悪くない。彼らはこの世の中の犠牲になったのです。

私は未就学児を抱え見知らぬ地でまだあまり動きようがありませんが、今日柳原先生やむとうさんのお話を聞いて、何かしたい!何かしなきゃ!私に出来ることは?とさらに強く思いました。これもご縁で、連絡先をお伝えしますので、どうぞ繋がって下さい。

長くなりましたが、心より感謝の気持ちを込めて。ありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

○○ ○○

京都市○○区在住、福島市出身


(5).
3.29 シリーズ 子どもと大人のための学習会」の参加者からのメール(2)

Subject: 郡山学習会 お礼 ○○○○

 先日は、郡山での学習会に疎開裁判の呼びかけをして下さりありがとうございました。
これからの避難生活に不安でいっぱいでしたが、大変心強く、立ち上がる勇気が出ました。数週間まずは避難生活の基盤を整え、後に福島のこども達のため活動していきます。
 まずは先日のお礼と連絡先を送らせていただきます。
日頃のご活動に心より御礼申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

自宅住所 
福島県郡山市‥‥
○○○○○○ ○○(10歳)

避難先住所
東京都‥‥

○○ ○○

【郡山市その2】(上記の方が別のスタッフ宛に送ったメール)
遅くまでありがとうございます。
これまで、こういった裁判をして下さっていることを知りませんでした。多くの市民も未だに同じ状況と思われます。是非、原告募集のチラシとともに継続的に置かせて頂きたいと思います。
 理事長の夫からもチラシ設置の許可は受けましたが、私が医療法人内で公に活動するのは難しいため、すみませんが、柳原先生、岡田様からの依頼でチラシを設置しているという形式にして頂けると助かります。
 柳原先生にお礼と連絡先のメールはさせて頂きましたが、メール転送もちろん構いません。お世話になります。
 
 震災直後は、本当に危機的状況でした。
そして、世界、国民の皆様、市民、従業員、家族で力を合わせ震災後の混乱からは立ち上がることはできましたが、その後の国政、県政、市政に失望し、無力感から身動きが取れずにおりました。
 しかし、県民、子供たちのためにこんなにもご活動下さる皆様に出会うことができて生き返る思いです。本当にありがとうございます。
 長々とすみませんでしたが、感謝と決意を込めて。今後ともどうぞよろしくお願い致します。

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